2015年04月18日

パイワン族秘道−78:カウ(口)社

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【写真説明】高雄市街を後にし高速3号線に乗り換え長治インターで降りて24号線に入り、三地門方面へ向かうと色々な山が見えて来るが、一番目立つのが三地山、24号線を車で走りながら撮影したものを掲載する予定でいたが、走る車中からの撮影で余りにも仕上がりが酷い!それで、ロ社から産業道路を辿りハングライダー基地へ向かう途中から仰いだ三地山を掲載した。中央写真はそのハングライダー基地を示す2002年8月当時の看板、この看板がその基地そのものの周辺に掲示されたものか?途中の道路上で見掛けたものか?は筆者の撮影記録では判別出来ず。それから十年以上たった同施設はさぞかし隆盛を極め賑やかになっていると思うのだが。右写真は三地山頂上の様子。尚、カウ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「パイワン族秘道→[10]」をクリック。

実はカウ社で撮影した写真が残っていない。微かな記憶に依ればカメラのシャッターを押しているはずなので、誤って消去したかもしれない。いずれにしても大昔の話だ。当時の目的はこの部落を通過し、ハングライダー基地まで車で辿り、その基地裏に開けられた登山口から、これも徳文山と並ぶ名峰、三地山を目指した。

何故記憶もあやふやな今は平地に居住しているパイワン族末裔の部落を紹介することにしたのか?一つは、この投稿に託けて三地山を紹介したかったからだ。同山を紹介する機会はそうそう無い。二つ目は、カウ社は元々大社から分岐してきている、つまりラヴァル系統に属し、地理的にも近い。但し、現代の交通手段たる自動車道でのアクセスを考えると、この地理的に近いという表現は全く見当違いになる。左メニュー『古道俯瞰図』の「パイワン族秘道−[10]」を参照にして欲しい。三つ目は、投稿記事を増やす為である。常時閲覧していただける読者なら、昨年後半からの投稿の停滞振りはご存じのことかと思う。

同部落の日本時代の表記は「カウ」社、現代語発音は「コウ」だから口の字を充てていると思う。では、その「カウ」は何処から来ているか?というと、以下の解説にある「カオアマン」から出ていると推測される。

『台湾原住民族資訊資源網』に依ると、口社=サガラン部落の紹介は以下の通りである:

口社の旧名はサガラン(Sagaran)、サガラン渓上流の大社から分かれて来た。それ以前、大社ダワラン(Davaran)部落のSapantjeとSalatilimanの二人の狩人が出猟、或る地点に到達<ロ社旧部落の一つ、カオアマン(Kauma'an)>したが、彼らの引率した猟犬がその場を離れたがらず、そこに定住、大社の一部の人々も同地に移遷して来た。その後Sapantjeはダワラン部落に戻り、大社の頭目の第四男Sa'adiuを新集落の頭目と戴き、そこをサガランと呼んだ。

ロ社も再訪してもう少し書き足す積りだが、それが何時になるのか?は判らない。(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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