2015年03月28日

パイワン族秘道−75:トア社

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【写真説明】左写真は、トア社入口に設営されたモニュメントであるが、謎が多い。まず、中央石碑のトップには「ラヴァル族群」の表記あり、その通りである。その下に部落名が大書きされているが、「カリヤラン」と読める。しかもこの部分は元々の石碑に刻まれた部落名を隠して黒字のプレートが填め込まれて訂正されている。原住民族委員会の『台湾原住民族資訊資源網』では、大社のパイワン語表記は「Davaran」(ダバラン)である。中央写真は大社国民小学校の校舎の一部、同写真左側に「屏東県三地門郷大社学区」の表記あり。右写真は、同小学校の校門脇にあうモニュメント、モニュメント上の山岳意匠は大武山だと思う。下掲写真は、大社への出入口である郷道31号線と省道24号線の分岐に立つ交通指導標。西ルカイ族居住地へのメイン・アクセス道路である24号線から大社まで12キロあるという意味である。自動車道とは云え、山中の12キロは実に長く山深さが身に浸みる。

徳文分校探訪を切り上げた後、日没まではまだ相当時間があったので、屏東郷道31号線を更に北上、大社を目指した。同自動車道のドン突きで、これ以上北上出来ない。

日本時代の蕃地地形図には「トア社」の表記あり。現代語読みだと「ター」の筈だ。「大社」の漢音訳はここから来ているとは思う。

「パイワン族秘道−60:下パイワン社(排湾、筏湾)」で紹介したのだが、パイワン族の棲み分けは以下の通りとされている。即ち、屏東県は併せて九つの郷から成る;北から;三地門、霧台、瑪家、泰武、来義、春日、獅子、牡丹、満州である。パイワン族は地理的には、最北に位置する三地門のラヴァル系統と、残り南側、恒春半島まで含む地域に居住していたブツル系統に大きく大別される。

現代の大社、トア社はラヴァル系の最古の部落である。そのような知見があってこの現代人の感覚では途轍もなく山深い村落を尋ねたわけではない。前回までの投稿記事の話題であったトクブン社の極めて足早の探訪が終了した後、日暮れまでにまだ時間的な余裕があったので、嘗て大母母山の登山基地であったはずの大社を再訪してみようと企んだ。しかし、既に記事にしたように、大母母山の登山基地は大社ではなく、遥か南側に位置するルカイ族の佳暮村だったことを、大社まで実際に足を延ばした後、漸く理解した。大社訪問は2014年6月が初めてだったというわけだ。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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