2015年03月07日

パイワン族秘道−72:トクブン社−3

Kodou-1481.jpg Kodou-1482.jpg Kodou-1478.jpg
【写真説明】左写真は、徳文山頂上直下の登山道景観。中央写真は山頂と三角点。右写真は、実際は山頂からの眺望ではなく、郷道31号線から俯瞰した霧台郷方面。同写真手前、山影に写り込んでいるのは現在の徳文村に属するのだと思うが、日本時代の蕃地地形図に従うならば、キヌジヤロン社か?同写真中央は、神山集落、同写真左端に写るのは旧佳暮村、更に左側最奥は下大武集落である。このように、徳文村は、実は佳暮村に隣接している形になっており、日本時代地形図では、南からキヌジヤロン社、トクブン社、上パイワン社の三社が徳文山北東の山裾の狭い範囲に居住していたのだが、現在は徳文村で一括りに思える。筆者の予想が正しいかどうか?は時間が必要だ。

もう一回、徳文山の記事を起こすことにした。その理由は二つ;一つは、徳文山に敬意を表すべく三角点の写真まで掲載致したく、もう一つの理由は、前回記事に掲載した二枚の新旧案内板には徳文山の記載は無く「観望山」の名称で統一されているのだが、片方の石版案内板には解説が施されており、その内容まで紹介するのが読者に対する気配りと考えたからだ。

まずは、前回掲載の左写真の案内板記載の全訳から。

『観望山解説碑』
「観望山は三地門郷徳文八景の一つ、海抜1,245メートル、山頂には三角点が埋設されている。闊葉樹が繁茂し、優美な景観を創り出している。天気が良いと、屏東平野、小琉球、高雄県甲仙、燕巣等の背丈の低い丘陵から霧頭山、大武山等の群峯が俯瞰出来る。この登山口から頂上までの距離は約三キロである。」

「観望」とは如何にも現代的な漢語で、眺望が良いという世の山々の一般的な属性に過ぎないと容易に興味を削がれてしまいそうだ。事実、西ルカイ族の神々の棲む山々と集落の最高の展望所だ。どの市販の地図も、ハイカーも「徳文」と称するこの山、何故か、上述の説明の中に、「観望」と「徳文」の関係が記されていない―徳文山は観望山とも呼ばれる、或いはその逆。。。従って、その意味する所は、「観望」=「徳文」、パイワン語で「トクブン」(Tokubun、社名表記はTukuvule)とは即ち、見晴らし良しの義ではあるまいか?(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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