【写真説明】大母母(ダイボボ)山の三枚。霧で森全体が濡れ祖母る左写真。中央写真は登山道途中で見掛けた指導標、「大鬼湖」とは日本時代はバユ(巴油)池と呼ばれており、今回の記事中でも僅かに触れておいた。右写真は頂上三角点、ダイボボ山頂上に辿り着いたという記憶すら曖昧、写真だけが残っていた。
昨年佳暮村を訪ねた折、当然の如く、初めてこの地を踏んだとずっと思い込んでいた。同日、佳暮村を後にした後、省道24号線を一旦都会側の三地門方面へ戻り、途中から更に高度を上げ、今度は北部パイワン族の徳文、更に最奥の大社(トア)まで(車で)辿る内に、実は以前、台湾中央山脈南段の名峰、大母母山への登山口を求めて通過した村が新佳暮集落であることを「発見」し始めた。
繰り返すが、大母母山は名峰である。2003年11月の当日は殆ど霧の中の山行で、山容、登山道、頂上等具体的なイメージが全く固着していない有様、残されている写真が極端に少ないのは、往復の時間にせいていた為と思われる。
当時、何故この山を選んだのか?もう全く記憶に無し。大母母山は名峰だと繰り返しているが、そう私が思い込み始めたのは、実際登山した後、かなり経ってからである。
南大武―北大武―霧頭―井歩と中央山脈南端稜線を更に北に辿ると、唐突にこの山が尖り聳えており、暫くは、三千メートル峰である卑南主山のはずだと思い込んでいたが、どうも卑南主山としたら余りに南側に位置し過ぎている。
これまで大母母山の写真は台湾百岳ブログ「北大武山−2」中で一枚、日経ギャラリーの古道シリーズ第三回目記事(本ブログ左側メニュー『日経ギャラリー』第3回をクリック)の中で一枚紹介したことがある。どちらも写真が小さ目だが、その山容を見て欲しい。
原住民族委員会が版権を持つ別サイト『台湾原住民族歴史語言文化大辞典』の中に頼阿忠に依る「祖母山」の項があり、大母母山に関する記述がある。以下筆者拙訳である:
[全訳開始]
西ルカイ族にとって祖父母山二座が聖山である。
一座は祖母山、即ち知本主山(ルカイ語で「ラカイングタ」、Lakainguta)、屏東平野東側に起立する標高2,230メートルの高山だ。大武山自然保護区東北部に位置し、バユ(巴油)池(即ち、現在の小鬼湖)東側から然程遠くない場所である。知本主山一帯は、水蒸気が豊富で霧が発生し易く、多種の植物が繁茂、多くの樹木上に蕨、蘚苔類等寄生植物が所狭しと樹幹に複雑に絡み付き、当地の湿潤な環境を特徴付けている。又、当該山は降水量が多く、西南方面からの気流の流れ込みが旺盛な為、狩猟対象の動物も繁殖、水源も豊富で隘寮渓の源頭の一つを形成、ルカイ族の狩猟場の中心と為っており、シャデル(阿礼)、キヌラ(吉露)、ブダイ(霧台)、ラブアン(大武)各部落の狩猟場が交錯しており、狩り尽せない程の動物に恵まれていた。
もう一座は祖父山、即ち大母母山(ルカイ語で「カツワン」、Katumwane、日本時代表記は「ダイボボ」)、ルカイ語で「真の祖父」の義、霧頭山の遥か北側に対峙、徳文村に対面する山塊と佳暮村上方の山塊とで双耳峰を形成、標高は2,424メートルだ。大母母山は隘寮渓西側各支流の源頭になっており、獲物が豊富、カバルライ(神山)とカバダナン(佳暮)部落の狩猟場だった。
祖母、祖父山と呼ばれる幾つかの理由がある。第一に、当該山域は格別獲物が豊富、水源地も多く、各種植物が繁茂、日本時代以降、漢人が好む高級薬草、愛玉等の珍品が自然の中に豊富に存在した。つまり、西ルカイ族の天然宝庫であり、且つこれらの山々がこの部族の山林を育んで来たわけで、畏怖と感謝の念が生起するのは当然であり、「飲水思源」(中国語成句、「水を飲む者は、その源に思いを致せ」が原義、翻って、他人から受けた恩を忘れてはいけないという戒めの句)の譬えの通り、祖父母山と名付け永遠の紀念としたものである。
第二の理由としては、西ルカイ族の人々は高山に居住する神々を「我々の祖母」という意味の単語で呼んでいた。これらの山々はこれら神々の居住地であり、そこにあるものはすべて彼らのものであるにも拘わらず、人間は無償で享受出来る―このような無限の恩恵に与れる感謝の気持ちを表現する為に、我々の祖母、祖父と擬人化して呼んだものだ。
大母母山に関しては、もう一つの故事がある。即ち、(大武山塊一帯で)洪水が発生した時、僅かに数座の山々の頂が水没を免れているのみ、人々は争ってこれらの頂を目指した。そんな高山の中で、井歩山(日本時代その山容から「阿猴富士山」と呼ばれた;標高2,066メートル)ではそこに避難して来た人々が火を起こし暖を取る必要があった為、山羌(日本では「キョン」の名前で親しまれている、台湾原産)を大母母山に遣わし火種を確保した。というのも当時は火種は大母母山にしかなかったからだ。このようにして、井歩山頂に避難した人々は救われたのだ。
[全訳終了]
ところで『台湾原住民族歴史語言文化大辞典』は誠に簡便に台湾原住民族に関することが飛び出して来る。余りに簡便にして内容は精緻、但し中文のみの表記なので、このブログに引用するとなると、翻訳に時間が掛かり過ぎ息切れしてしまう。(続く)
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