2015年01月24日

ルカイ族秘道−28:カバダナ・カナモデサン社(佳暮村)

Kodou-1462.jpg Kodou-1463.jpg Kodou-1464.jpg
【写真説明】旧佳暮村入口に立つ指導標三種、中央、並びに左写真奥に写る山並みは神山、霧台集落方面である。左写真の石碑の銘に「民国八十四年」(1995年)の銘が見えるが、旧佳暮村から新佳暮村の位置に移遷した年のはずだが、何故、旧佳暮の地に立てたのか?尚、佳暮村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。

佳暮村は、隘寮北渓の一支流の両側に分かれて新旧の集落を形成している。実は、神山集落付近から俯瞰した新旧佳暮村の写真は、「ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)」で掲載済みである。両者の標高は約450メートル、両集落は直線で一キロ程度の距離で向き合っているが、その間の連絡道はそれら集落を分かつ渓流を橋を介さずにどん突きまで辿っているので、車でも15分程度掛かる。

隘寮北渓を介しては、神山集落たるカバララヤン社と向き合う。神山の標高が700〜800メートルなので、佳暮からは遥かに見上げる形になるし、逆に神山からは見下ろす形になる。この地形的な関係は、日本時代、神山に砲台が置かれ、佳暮住民を管制していたという関係になるのだが、その情報の出所を今現在確認できず。明治末から大正初期に発動された、第五代総督佐久間左馬太下の所謂「五箇年計画理蕃事業」中の出来事のはずである。

佳暮村に至るには通常、省道24号線が谷川大橋まで来たら渡らずに、そのまま隘寮北渓右岸を辿る方法である。後もう一つは、前述した神山−佳暮の上下関係を物理的に結んでいる連絡道を辿る方法で、筆者はこの一連の西ルカイ集落探訪の際は、前者のルートを選んだ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ルカイ族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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