【写真説明】左写真は、上下大武集落の分岐点で構えるルカイ勇士像、中央写真はその像の後方に復元された頭目の家。右写真は、勇士像脇の人家の畑に花開いていた山百合、ルカイ族の象徴の一つ。
明けましておめでとうございます。今年もご贔屓賜るよう宜しくお願い致します。
今年で本ブログも足掛け十年になりました。毎年繰り返し述べていると思うのですが、ネタは豊富に抱えている積り、他方、書き続けることに倦み始めているのは事実で、昨年後半は放り投げてしまおうかと一時考え込んでしまいました。何故、古道なのか?然も、台湾の?更に悩み多き一年になりそうです。
古仁人橋を渡りそのまま坂道を上がると三叉路になっており、そこに下大武集落たる小山巷の道標と共にルカイ勇士がでんと立っている。その後方には頭目の家が復元されている。三叉路を右に辿ると上大武集落たるタラマカウ社に向かい、左に辿ると、村役場(弁公所)、小学校、衛生所等、大武村の行政機関が集中した場所に至る。小学校の正式名称は、「霧台国民小学校大武分班」、行政機関と言っても、前述に加え、社区活動センターぐらいで、皆小学校の校庭脇に集合している。
「シデロウ」の漢音訳は何故か「徳労」、或いは「得労」の二字を充てている。その起源は大正六年(1917年)に頭目が他社との或る紛争で指弾されブダイ社から追放に処せられたようだが、それなら丁度百年前の出来事になる。大武村の起源がラブアン社であるなら、現在のシデロウ社の地に両社は分住していたに違いないが、筆者の手持ち資料では判然としない。『霧台、好茶古道与聚落研究報告書』には、昭和六年(1931年)の戸籍調査結果として、10戸、18人の数字が挙げられている。これらの数字に代表される小規模さは今も変わらない。(続く)
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