【写真説明】左写真は省道24号線を神山集落に向かい高度を上げていくと、隘寮北渓対岸の河岸段丘上に向かい合う二つの集落が見え出す。新旧(新集落が左側)の佳暮村である。中央写真は、霧台集落下の24号線から分岐している大武村へ降りる霧台大武(略称「霧大」)連絡道入口。右写真は阿礼大崩壊部から望む霧大連絡道の九十九折と、隘寮北渓底に集落を形成する大武村下大武集落。尚、大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
伊拉集落を過ぎ省道24号線を神山・霧台に向かい高度を上げて行くと、大きく蛇行を繰り返しながら今正に山裾を削り出す様な唸りが聞こえて来そうな隘寮北渓の谷底に、それこそ小石が放り投げられたような感じで、幾つかの集落が足下に見え出す。最初は、新旧の佳暮集落である。一体どのようにその集落に降りて行けるのか?そんな疑問の前に、そもそも何故然様な場所に人が住み着いているのか?―胸が締め付けられるような圧倒的な風景だ。
霧台を過ぎ、吉露・阿礼方面へ更に高度を稼ぐと、今度は米粒の寄せ集めと見紛うばかりの集落が二つ見えて来る。高低差が僅かにある上下に分かれた大武村である。こちらの方は、更に前述の二つの疑問を或る種の感動を以て自問することになる。
初めて省道24号線を辿ったのが正確には覚えていないが、筆者の手元に残っている写真は、これまでの記事で紹介したように2001年撮影したものだ。この自動車道に乗り入れ、これらの集落を足下を恐る恐る覗き込むようにして俯瞰する度に、谷底まで降りて行きたい、行こうと密やかな希望を密やかに持ちながら、十三年、結局挙行出来ずにいたのだ。それを何故かモーラコット台風五周年の今年、2014年に唐突に敢行したわけだ。
まずは、大武村を紹介する。大武村に至るには二つのルートがある。一つは霧台集落(ブダイ社)から隘寮北渓に向かい教科書みたいな九十九折を下って行く方法、もう一つは、一旦佳暮村まで降りて、隘寮北渓右岸に付けられた連絡道を辿る方法。。。後者はモーラコット台風で焼失してしまったので、今は前者のコースしか無い。通称、上下の集落の頭を繋ぎ「霧大連絡道」と呼ばれている。谷底まで降り切ると、モダンな真新しいコンクリートの吊橋が架かっている。拍子抜けする人も居れば、感動する向きもあるかもしれない。普通の乗用車をやっと通せるぐらいに殊更に狭く設計してある「古仁人橋」、今年4月の竣工である。「グレンレン」と発音するのだろうが現時点では意味不明。(続く)
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