【写真説明】左写真は、隘寮北渓北岸から谷川大橋=新省道24号線とイラ集落、その横を走る旧24号線を俯瞰する。中央写真は、曾て谷川大橋以前に隘寮北渓を跨いでいた一号橋を越えると待ち構えていた霧台郷入口を示す大門、2001年10月撮影、今は無く、右写真は2014年6月にその大門付近から曾て一号橋が架かっていた方向を撮影。同写真奥の高峰は徳文山(標高1,246メートル)。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
前回記事で、ブダイ、カバララヤンの標高に付いて述べた。シャデル社の記事では、同社の発祥年代に付いて触れた。以前の複数の記事の中でも、西ルカイの発祥について述べて来たが、とりわけ「ルカイ族秘道−4:コツアボアン社(旧好茶)−2」の中で割と細かく紹介した。
ここで、標高と発祥年代、即ち恐らく口承されて来た各部落の起源を並べると以下の通りになる。以前と同様に、『霧台、好茶古道与聚落研究報告書』に依っている。各部落は急な傾斜地に形成されているので、標高はあくまで参考である。派出所、衛生所、小学校等が置かれている(いた)付近の標高と考えればよい;
(社名)、(標高)、(移遷年代)
コツアボアン社(好茶)、970メートル、670年
シャデル社(阿礼)、1,200メートル、370年
キヌラ社(吉露)、1,050メートル、?
ブダイ社(霧台)、800メートル、270年
カバララヤン(神山)、700メートル、270年
イラ社(伊拉)、300、メートル、270年
日本では足利尊氏の室町幕府開闢に相当する頃、太平洋側の東ルカイの地を今は絶滅したと伝えられる雲豹を帯同し、隘寮南渓北岸山腹の高地に移住した後、三百年を経てコツアボアンの北側山腹を這い登り、井歩山(阿猴富士、標高2,066メートル)とシャデル山(同2,022メートル)の鞍部を越え、隘寮北渓南岸山腹最上部にシャデル社を形成、更に百年後、同山腹を隘寮南渓に向かって更に下降、ブダイ、カバララヤン社を形成、最後はカバララヤン社より400メートル下り隘寮北渓渓底に至りイラ社を形成。。。と、ざっくりこのような塩梅になる。キヌラ社については出所詳らかならずと云う所か?
ルカイ族も文字を持たない。部族の歴史は専ら口承に頼ることになるが、口承には世代数は残っても、各世代の正確な年数は残らないのではないか?と想像されるので、実は670は700でも差支えないのかもしれないが、一世代の年数を固定した上での推定ではないのだろうか?と素人である筆者はそう考えざるを得ない。或いは、学界にはこういうケースでの換算方法が確立しているのかもしれない。或いは、存外口承力と云うのは筆者の貧弱な想像力を遥かに超越したものかもしれない。
以前、谷川大橋が掛かっていない頃は、霧台郷入境寸前、24号線は谷底まで殆ど降り切り、何の変哲も無いその名も一号橋を渡りると、今回掲載した写真にあるルカイ族を意匠した大型の門が待ち構えており、異境の地に入ったという気分がしたものだ。今は高架橋が集落を眼下に一瞥するだけで文字通り空中を乗り越してしまうので、筆者が曾て味わったようなワクワク感と、入山証を予め取得する必要があることも手伝い、畏れ多い気分も霧散してしまった。(続く)
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