【写真説明】左写真は、省道24号線からシャデル社側を背にキヌラ社を望む。集落の規模と同時に、隘寮北渓側へ落ちる急斜面上に形成されている様子が良く判る。中央写真は、省道24号線からキヌラ社へ降りる自動車道に乗り入れた直ぐの道路脇土手に倒れたままになっていたルカイ勇士、モーラコット台風の齎した強風に負けたようだ。右写真は、キヌラ社入口で我々を歓迎する別なルカイ勇士。
阿礼大崩壊部、省道24号線45.5キロ〜48キロ区間の終点はシャデル社だが、その崩壊部の中間、つまり霧台側に向かって下降する省道脇谷側、即ち、隘寮北渓側に降りる道路があり、そこに「吉露部落」の指導標が立っているのを発見した。発見したという意味は、この大崩壊部の段はモーラコット台風以前にも複数回往復したことがあるのに、この「吉露」という部落名には全く知見が無かったという意味である。それで、一日という制限時間のある中、未知の地に踏み込むという意味で多少躊躇したが、吉露村へ下る道路に車を乗り入れた。
同集落の日本時代の社名は、キヌラ、又はキヌラン、現代の漢音表記は複数あり、去怒、去露、吉露。。。ネットサイト「台湾原住民族資訊資源網」に依ると、キヌラ社は戦後の設村とあるが、『霧台、好茶古道与聚落研究報告書』に依れば二百年程度の歴史はありそうだ。
同報告書に、昭和六年当時、38戸197人の小村だったという説明が付与されているが、今回廃村跡を一瞥しての第一印象は、現代社会に於いて、その昭和六年と然程変わらないと思われる村落規模で一体如何なる日常生活と経済活動が可能なのか?という素朴な疑問だった。(続く)
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