2014年09月13日

ルカイ族秘道−9:谷川大橋

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【写真説明】2013年9月に完工した隘寮北渓を横断する谷川大橋、2009年8月、台湾を襲った未曾有のモーラコット台風の影響で壊滅した旧第一号橋の代わりに架け直された。高さ99メートルは台湾最高。この橋梁は同時に屏東県三地門郷(パイワン族が主)と霧台郷(西ルカイ族)との境界を形成する。左、並びに中央写真は、当該橋梁の山地門郷側出入口にある銘、左写真右奥に写る集落は、霧台郷霧台村に属する伊拉社区(日本時代のイラ社)、谷川大橋建設時に同時に谷川社区と改名した。谷川は如何にも日本風な名だが、日本人が付けたイラを嫌ったらしい。いずれにしても「谷川」の出所は調査中。右写真は霧台郷から望んだ谷川大橋。同写真右岸側が山地門郷側。

ルカイ族に関する記事をアップし始めたのは、丁度二年前、2012年の夏である。この時分も、その三年前、2009年8月8日に台湾を襲った八八水災(「モーラコット台風)についての記述を加えた。と云うより、八八水災以降の台湾南部の原住民族部落探訪記はその水害からの復旧状況報告が主たるテーマになっていた。

今年の夏は早くも八八災害五周年を迎えた。その五周年を意識したわけではないのだが、突然、霧台郷最奥、最高点にあるルカイ族の部落、阿礼村=シャデル社の現況を確認したいと思い立った。同時に、これまで足を延ばしたことのない、霧台郷のルカイ族の全部落をざっと巡ることを思い付いた。

2012年7月〜9月に掛けて集中的にルカイ族に関し紹介したことがある。これら投稿記事中、「ルカイ族秘道−4」の中で、ルカイ族の分類に関しても詳述したが、簡単に繰り返すと、ルカイ族は、大南群(東ルカイ、台東県卑南郷)、下三社群(高雄県茂林郷)、隘寮群(西ルカイ、屏東県霧台郷)の三群に今現在は分類されているが、今回ざっと巡った痕を紹介するのは、西ルカイの全部落で、モーラコット台風以降の復旧は進み、一部部落間の連絡道は崩壊した部分はあるが、自動車道は確保されていた。

まずは、西ルカイ、即ち霧台郷内の現在の行政区画とルカイ族村落(通常「社区」と呼ばれる)、日本時代の社名は以下の通りである。各行政区画のリスト順は中文版ウィキペディア、各行政区画内の村落名、並びに日本時代の社名は、「ルカイ族秘道−2」で初出の、行政院原住民族委員会文化園区管理局『台湾原住民族伝統聚落(含古道)委託研究報告建置計画案−霧台、好茶古道与聚落研究報告書』(報告年月日:2009年10月15日)と『日治期五萬分一―臺灣地形圖新解』(上河文化)に依った:

[現在行政区画]、[現代社区名(日本時代社名)]
大武村、下大武(小山)(シデロオ)、上大武(東川)(タラマカウ)
吉露村、去露(キヌラ)
阿礼村、阿礼(アデル)
好茶村、好茶(コツアボアン)
佳暮村、佳暮(カバダナン)
霧台村、霧台(ブダイ)・神山(カバルライ)・伊拉(イラ)

阿礼村まで至る自動車道は、屏東市を起点とする省道24号線、全長約50キロ、通称霧台公路と呼ばれるが、実際その通称段は、山地門郷山地門から阿礼までの約30キロ区間、台湾有数の山岳自動車で、隘寮北渓谷が削り出した条々とした山々をうねる様にして高度を上げていく様は遠くから眺めていても、実際この道路を車で走っても圧巻である。

この24号線は、以前は単に「第一号橋」と呼ばれる普通のコンクリートの橋で隘寮北渓で横断、伊拉社を抜けて高度を上げ、霧台を経由して阿礼村まで辿るのだが、モーラコット台風でこの第一号橋は壊滅、代わって、「谷川大橋」と呼ばれる大架橋が2010年12月着工、2013年9月、つまり丁度一年前完工した。全長654メートル、幅10メートル、高さ99メートルは台湾一である。台湾歴史上に残るであろう大災害からの復興を宣言する一大モニュメントと言えそうだ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 | Comment(0) | TrackBack(0) | ルカイ族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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