【写真説明】躑躅山駐在所と大水窟間の古道上には道路路肩を保護する為、古道開鑿時に築かれた精緻な石塁が今でもそのまま残存している箇所が多いことに気付いた。今回の記事ではその三例を掲載した。八通関古道西段で筆者がこれまで目撃した中で最も精緻を極めたと感じた石塁は下掲のバナイコ駐在所跡と八通関大山登山口間に現存する「ミニ架橋」だったが、上掲載の右二例はそれを凌駕する美形だ。左+中央写真は、躑躅山−南間、右写真は、南-大水窟間。
今は南営地(南キャンプ地)と呼ばれる南駐在所跡地は、躑躅山駐在所跡地の東四キロ、大水窟駐在所跡地までは三キロの位置にある。何故「南」と当時の日本人は名付けたか?楊博士は、大水窟山の南山麓に位置したからか?と推測している。実際、躑躅山駐在所は台湾二葉松に取り囲まれ展望は効かないが、南駐在所跡地は大水窟山南稜線が丸々見通せる位置にある。
上空には何の遮蔽物も無い、呆気からんとした南駐在所跡地は規模広大、40メートル四方の敷地を囲んだ石塁+土塁が見事に残存している。
ところで、筆者一行は、往きは、躑躅山−南間にある登山口から南陵伝いに大水窟山へ登頂し大水窟へ降りたので、南駐在所跡を通過したのは復路のみ。
この駐在所跡地に入る前、古道下側の灌木越しに石塁上の物が見えた。旧駐在所に纏わるものだったのだろうが、そこまで降りて観察に行く気力無し。楊レポートに依れば、清代開鑿の営盤跡と目されたこともあったが、大水窟営盤まで僅かに二キロ、南駐在所員が設営した炭焼窯への間道跡とのことである。(続く)
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