【写真説明】左写真は旧古道と観高−八通関間の迂回道の出会いに立つ真新しい指導標。後方に聳える山は八通関山西峰稜線、迂回道は同写真に写る稜線上部を巻いている。中央写真は八通関駐在所跡(同写真右側)とその西側に位置する清代開鑿時付設の営盤、右写真はその拡大図。
八通関駐在所に関しては本ブログの「八通関古道−3」等で紹介したし、何よりも、『日経ギャラリー』「台湾古道」シリーズの第1回目掲載(2009年7月号)で大判の写真と共に掲載されたので、駐在所跡に関する限りはもう紹介することは無い。今回の大水窟往復行の際は殆ど素通りした。
但し、一箇所、これまで知識としてはあっても視覚的に確認したことは無かった清代営盤(兵舎)跡を写真に留めた。八通関駐在所跡のすぐ西側の傾いた草原のスロープに明確に見て取れた。双方の近さに呆気に取られた。何故今回だけ営盤に注意したか?思い出せない。
同地を通過する警備道「八通関越横断道路」を開鑿し駐在所を設置したのが、大正8〜10年(1919〜1921年)、爾来百年近くになる。その警備道自身は現役であるし、駐在所跡は見事に封印されている。他方、清代営盤は、光緒元年(1875年、明治8年)開闢以来、百四十年、言い様では手付かずのまま残っていることに驚嘆する。これが標高2,800メートルに位置する八通関の意味である。(続く)
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