【写真説明】観高〜八通関の従来の古道に沿ったコースは、古道そのものの殆どが山腹崩壊で消失しているので、今は立ち入り禁止であるが、命と簡便さ(距離・落差・時間)を天秤に掛け、後者を選択したパーティーは、滑落と落石の双方を多数箇所で覚悟しなければならない渡渉を強いられる。その崩壊状況を多く写真に収めたのだが、そのどれもが貧弱な表現に堕してしまったので一枚だけを選んだ。左写真は、崩壊した古道上に辛うじて残った里程標。右写真は、古道と八通関との出会いで、進入を禁じた警告板。下掲写真は、観高〜八通関間の迂回路での撮影。
東埔登山口〜観高間約14キロの古道の断続的な崩壊振りには本当に驚かされた。山中の直近の事情に通じた人をガイドに立てない限り、最早素人の単独行は全く危険この上無いことを思い知らされた。それでも従来の古道に沿って何とか辿れるのだ。
しかし、観高(標高2,580メートル)〜八通関(同2,800メートル)間の、曾ては僅か距離2キロ強、落差200メートル、歩行時間1時間強の緩やかな区間の崩壊振りは、とても東埔〜観高の比では無かった。文字通り、筆舌に尽くし難い崩壊振り、この間、誠に残念な事に、古道は殆ど消失していた。実際、国家公園管理処は通行禁止を命じている。
今回の記事に、古道の崩壊振りを些かでも読者の方に判っていただこうと、数葉を掲載したが、余りにも局部的で判り辛い。8年前の2006年、秀姑巒山を目指した時、観高付近から八通関越しに望んだ玉山主峰と東峰を撮影した筆者のお気に入りの一枚があったのだが、今回大水窟を目指した時もほぼ同じ地点から同方面を撮影した一枚があることに気付いた。それら二枚を比較し、愕然とした。従来灌木地帯だった八通関東端は、ごそっと崩れ落ち、断崖が露呈している。「八通関今昔」と題しこれら二枚の写真を並べたので参照にして欲しい。下掲写真の左端やや上に一本の灌木が写っている。その下辺りが古道と八通関の出会いである。
もう一つ、比較写真に写る八通関草原下の崩壊部北側(写真では右側)は、金門[山同](或いは銅)断崖である。昼間からパチパチ花火が鳴る様な音が断続的に聞こえていたのだが、この断崖に沿った絶え間ない落石がその音源であることをガイドに教えて貰った。これも大きな地形的な変化である。
従って、当然、この間の迂回路は開鑿されている。この区間、古道は八通関山西峰北側山腹を等高線に沿う形で横断している。迂回路は、西峰頂上(3,245メートル)に向かい急登(降下)、崩壊部上端を躱せるまで標高を稼ぐと原生林の灌木地帯を横断、八通関上部まで出ると、草原上の山腹を急降下(登)、正確な迂回路の距離は手元に無いが、4キロ程度か?参考までにオリジナルの古道と迂回路の位置、高度差、観高−八通関山西峰−八通関の位置関係等が判るダイヤグラムを掲載した。黒の点線が従来の古道、青線が迂回路である。
命を賭して従来の古道に沿ったコースを辿れば、筆者のパーティーの場合、2時間を要した。他方、八通関→観高迂回路は、4時間半を費やした。
以上の予備知識が全く無いままに、大水窟を目指す時は、従来の古道に沿ったコースを心細い補助ロープに頼りながら強制渡渉、帰りは、漆黒の闇の中、苦渋の迂回路を辿った。
まだ陽のある内の八通関上部の急登にも参ったが、崩壊部上部の迂回を完了し、観高に向かい迂回路が下りに掛かってから、実際観高坪に辿り着くまでの下りの長さには悲鳴を上げたくなった。
どちらのコースを選ぶにせよ、もう一回、観高〜八通関間を辿る勇気があるか?爾来自問を繰り返している。(続く)
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