【写真説明】左写真は、東埔側を背にして撮影した観高坪。同写真左側に観高駐在所、観高登山センターへの降り口がある、東埔側に向かって撮影した観高坪の写真は「郡大山−6」に掲載。中央写真はその観高坪に立つ、「東埔温泉まで14.3キロ、八通関まで2.4キロ」の指導標。右写真は、観高坪から観高駐在所跡を襲ったヘリポートへの降り口で、日本時代から残る階段。下掲写真は、観高坪ヘリポート越しに望む中央山脈最高段、稜線の最高点が秀姑巒山(台湾百岳6号、標高3,805メートル)、その左側に連なる稜線がマボラス山(同7号、3,765メートル)、ヘリポート下が登山センターになっている。
東埔登山口から観高までの14キロの内、東埔〜ラクラク間が5キロ、ラクラク〜対高間が5キロ、対高〜観高間が4キロという駐在所設置になっているので、対高で東埔からの総歩行距離が10キロ過ぎ、観高までもう一息!という感じになる。
観高坪まで登り詰めると、八通関方向右手に、金門[山同](「銅」の漢字を充てる場合もあり)大断崖の上に乗り上げたような恰好の八通関と、更にその奥に怪異なイメージで新高山(玉山)連峰が鎮座している。他方、左手には、中央山脈最高峰の秀姑巒山とマボラス山が指呼の間に迫っているのだが、何故、これら二座が観高から仰ぎ見れるのか?長い間、判らなかった。そして正面には、八通関大山が我々を見降ろしている。
この辺の位置関係を理解するのに苦労した経緯は「八通関大山−1」で縷々認めたのだが、告白すると、観高、八通関、新高山、八通関大山、大水窟山+秀姑巒山+マボラス山を含む中央山脈の地理的な関係を明確に把握出来るようになったのは、実は今回の三回目の山行を通じてである。
過去二回観高坪を通過したのだが、何故か、駐在所跡地、或いは遺構と思しき写真が全く残っていないことは、「八通関大山−3」で書いた通り。そこで今回は、登りと下りの二回、割と丁寧に探した積りであった。
そもそも観高坪まで至ると、中の線(「郡大山−6」参照)との出会い、即ち、観高登山センターへの降り口はちょっとした広場になっており、八通関大山を正面に見ながら左手の、両側が笹の小道を辿ると、今はヘリポートになっている広大な平坦地に出る。この平坦地全部が観高駐在所の跡地そのものなのかどうか?は俄かには判り難い。結局遺構らしきものに出遭ったのは、大水窟から降りて来た最後の5日目、4泊目の宿泊地、観高登山センター(旧護管所)を後にして中の線の急坂を登り切った場所、ヘリポートの登山センター側脇だった。(続く)
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