【写真説明】ラクラク駐在所の跡を襲った楽々山屋の三枚。左写真は古道中のラクラク駐在所への上がり口、当時の雰囲気をいまだに強烈に残す。実は同山屋は『台湾百岳』「八通関大山−3」でも写真掲載、違いは八年前の写真、この間の変化は太陽電池盤の追加、今現在機能しているとは思えないが。下掲写真は、古道西段、父子断崖に続く白眉、雲龍滝に至る懸垂壁に開削された古道の惨状の一例。
旧正月大晦日に、筆者の愛する金門コーリャン酒を痛飲、翌朝は意識朦朧たる状態で登山開始、お蔭で一泊目は観高を予定していたが、遥か手前の楽々小屋に切り替える始末。この予定変更は、筆者の猛烈な二日酔いも一因であるが、もう一つは古道途中の崩壊が酷く山行の速度が落ちたことも一因だ。
楽々山屋はもう既に三度通過しているのに、今回新たに到着して驚いたことは、実はこの山屋は七八人は優に寝れそうなぐらいのスペースがあるということだった。過去三回の間に、何故か数人しか寝泊り出来ないような物置小屋程度のサイズのイメージが出来上がっていた。筆者にはそれ故、楽々小屋という呼称がぴったりする。八年間というのはそんな時間かもしれない。そう言えば、昨年十年振りに南湖大山(百岳8号、標高3,772メートル)に登った時、初回の記憶の残滓は全く実際と異なっておりびっくりしたものだ。
午後三時頃には荷を解いたので、山屋周辺の調査に時間を充てられた。山屋から一気に陳有蘭渓まで降り切り、ラクラク温泉並びに川底からそれ程高くない所にある清代古道まで辿る。。。無理だなあと思いつつ、山屋近くから川底に降りられそうな場所を選び少し下り始めたが、いやはや譬え川底まで辿り付けても折り返して来るには暗闇の中の強行軍になることが容易に想像されたので即中止。
山屋に戻ると、山屋の上側に相当面白いものがあると我々のガイド小綿羊が言うので登ってみた。石塁がかなりの規模で残っている。山屋付近は広場になっているので曾ての駐在所はそこにあったものと安易に思い込んでいたが、実はもう少し高台が本拠だったようだ。その高台に至る登り道脇の壁の石積も見事に残っている。過去三回全く気付かなかった。(続く)
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