2014年05月10日

八通関古道西段−12

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【写真説明】まず、最初の崩壊地が、東埔温泉登山口→三聖宮愛玉亭→畑を登り切り、著名な父不知子断崖(父子断崖)展望台に至る陳有蘭渓と沙里仙渓出会い上部である。過去より崩壊を繰り返し登山道も同時に変移する。左写真はその崩壊地中途、中央写真は崩壊地を渡り切った父子断崖)展望台付近から望んだ。右写真は父子断崖)展望台。通常は重装だと登山口から崩壊地入口までは急登を強いられ難儀だが、今回は我らがポーター「黒熊」の軽トラック(下掲載写真)でその崩壊地入口、最後の畑を登り切った場所まで運んで貰った。そもそもそこまで自動車が上がれることに驚いた。

ダラダライ社一回目の記事で述べたように、原住民族の旧部落を訪ね歩く機会が全く無くなったように、筆者のライフワークであるはずの古道歩きの方も同じ憂き目に遭っている。

日本時代開鑿の八通関越嶺道全段踏破は筆者の古道歩きのゴールだが、何時になることやら。せめて、東埔温泉から大水窟駐在所までの西段だけでも先に踏破したいとは兼ねてより思い煩って来た。今年2014年度の旧正月は、大水窟を目指すことにした。運よく雪が付かずに装備が軽くなったのは朗報だったのだが、全く予想もしていなかった大いなるチャンレンジに遭遇し困惑の古道歩きになった。

目指すは八通関古道全段の最高点、大水窟駐在所、途中、必ず、躑躅山駐在所と南駐在所を経由する;大水窟山は同駐在所まで辿れれば空身で容易に往復出来るはず。。。これが今回の大水窟行に対し筆者が描いていた全イメージだった。古道に踏み入れた途端にこのイメージは音を立てて崩れることになる。

今回の西段探訪で驚かされたというよりショックを受けたのは、筆者が最後に同段を歩いて以降、東埔〜八通関間の道路状況が劇的に変化した。その間、間歇的には、東埔からの入山が禁止されているとかのニュースは耳に挟んだ記憶があるが、古道の崩壊規模は全く想像を絶するものがあった。

何時から今に見る崩壊が始まったのか?ネットで丁寧に調べれば判るかもしれないが、筆者の入山歴と併せれば以下の通りになる:

*2004年4月―東埔〜八通関〜八通関大山
*2005年10月―東埔〜楽々小屋
*2006年1月―東埔〜中央金礦山屋〜白洋金礦山屋〜秀姑巒山
*2009年8月―モーラコット台風
*2010年11月―玉山国家公園管理処「東埔至八通関歩道勘査報告」

この最後の報告書を読むと、今回筆者が遭遇した崩壊箇所、規模は同じなので、少なくとも三年以上前から同崩壊を招いていると考えても良く、しかもこの報告書の中に、東埔〜観高間の入山禁止は二年に及んでいるとの記述があるので、この区間の入山禁止はモーラコット台風以前からということになる。

いずれにしても、今回の西段探訪は、楊南郡『八通関越嶺古道西段調査研究報告(1987年)』中の手書地図を抜粋、スマホに入れて持参し、割と丁寧に(それでも駆け足で)西段駐在所跡を踏査した結果が、記事の中心となる。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八通關古道-西段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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