2014年04月26日

パイワン族秘道−68:ダラダライ社(現屏東県三地門郷達来村)−1

Kodou-1308.jpg Kodou-1309.jpg Kodou-1310.jpg
【写真説明】左写真は現在の達来村の最上部にある教会の駐車越しに隘寮北渓並びにその奥の北大武山の俯瞰。中央写真は現在の達来村側の指導標の一つ。右写真は、新旧ダラダライ社を結ぶ達来吊橋を旧社側岸から望む。下掲左写真は、旧社への登り途中から新部落を望んだもの。同写真下端やや左側に写る白い構造物が達来吊橋。同中央写真は、旧社入口。同左写真は、旧社内の電柱に示唆されたタライ山三角点方面。

最近は台湾原住民族の旧部落を訪ね歩く機会が全く無くなった。台湾に戻って来る機会が少ないことに加え、その少ない機会を利用するに台湾百岳への登山を最優先させているからだ。従って以前紹介したカサギサン社のように精々半日ぐらいが探訪が可能な範囲になってしまっている。勢いその範囲とは屏東県の高雄市に極めて近い部分になるが、もう行き尽くしてしまった。

ダラダライ旧社の在り処を確認したのは、田良井山への山行記録を渉猟している時だ。カサギサン社関連記事でもう散々考証したが、「田良井」を現代北京語読みしてはこの山名の由来は皆目見当が付かない。日本語漢字読みの知識が必要なのだ。「タライ」と発音すべきなのだが、これは今の台湾人には判らない。いずれにしても、日帰り可能な田良井山登山は、現在の達来旧部落を経由するのだが、山行記録を検分する限りは、旧社自体は駐車した場所から程遠からぬ場所にありそうで、半日での探訪の機会を狙っていた。ところで、タライ山自体には未踏。

屏東市市街地から東進、三地門を経由し霧台に至り、更に霧台郷最奥の阿礼村まで至る省道24号線(別名「霧台公路」)は、山地門経過以降は只管霧台に代表されるルカイ族の村々を繋ぐ道路のようなイメージがあるが、実際この道路はまずパイワン族主体の三地門郷を横断し、それからルカイ族主体の霧台郷へ入る台湾有数の山岳自動車だ。2009年のモーラコット台風(「八八水災」)で壊滅的な打撃を受けた傷跡は今でも残る。その山地門郷部分の24号線沿線の大集落が達来村(新ダラダライ社)である。

旧ダラダライ社に至るには、まず現在の達来村を経由すれば済むことなのだが、最初に探訪を試みた時は、達来村のかなり手前で隘寮北渓側へ降りてしまい、広大な河原を右往左往する始末になった。三地門市街地を過ぎてしまえば、24号線が霧台郷に入る以前の唯一の大集落が達来村だという知識が無かったのだ。

因みに、高雄市街地から山地門市街地に至るには、北廻り(高速1+10+3号線)でも南廻り(快速88号線+高速3号線)でも約1時間。

ダラダライ社の新旧部落の地理的な距離は極めて近い。隘寮北渓を境に、左岸の旧社と右岸の新部落が向き合っており、この間を達来吊橋が結ぶ。旧社に至るには、この吊橋袂まで乗用車乗り入れが出来るので、後は徒歩で吊橋を渡り、左岸の急斜面を小一時間登る。旧社には農場があるし、内外部者向けの啓蒙活動も定期的に挙行されているので、旧社に至る道路、旧社内は極めて整備されている。

これまで幾つかの台湾原住民族旧社に対し、その保存状態の良さを喧伝して来たが、ダラダライ旧社を訪問し、そのアクセスの簡便さ、保存状態の良さ、集落規模に脱帽せざるを得なかった。少なくとも筆者が訪ね歩いたパイワン族旧社の中では一番だと思う。その幸運に思わず感謝、2013年6月のことだ。(続く)


Kodou-1311.jpg Kodou-1312.jpg Kodou-1313.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック