【写真説明】天池山荘の後方に聳える南華山(能高山北峰、標高3,184メートル、台湾百岳75号)頂上稜線より、北側稜線(左写真)と南側稜線(右写真)を望んだもの。左写真右側一番奥が奇莱主山(標高3,560メートル、台湾百岳20号)、そのすぐ左側が奇莱主山南峰 (標高3,358メートル、台湾百岳41号)である。右写真の右側尖峰が能高山(標高3,262メートル、台湾百岳58号)、その頂の奥に雲に掛かった玉山連峰(最高標高3,952メートル)が僅かに写っている。これら写真の撮影地点である南華山、また奇莱主山南峰までなら少々足に自信があれば、天池山荘をベースにして一般のハイカーでも登山は可能である。
三番目の理由として3,000メートル級台湾高山を体験出来る事が挙げられる。古道を暫く歩き出すと能高山がすぐに見えて来る。能高山は日本時代は「三高」(新高山:現玉山、次高山:現雪山)の一つに数えられ、雲海保線所(旧尾上駐在所:約1時間半)に辿り着くと雄大な全山容が眼前に広がる。更に天池保線所(旧能高駐在所:歩道入り口から約6時間)まで登り詰めると峻厳な山容が圧倒的な勢いで迫って来る。そこから頑張って半時間ぐらい掛けて天池(今は乾燥した池塘)まで上がると、そこには中央山脈の更に南北へ連なる台湾で一番美しいと言われる大草原(笹)が広がっている。この低い笹から成る草原は台湾3,000メートル級高山の一大特徴だ。登山の経験が無くても天池までは上がれるし、峠までは天池保線所から平坦な道を3キロ弱歩くに過ぎない。(メルマガ「台湾の声」2005年1月6日掲載分の一部を改編)次回へ続く...)
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もしかしたらご存知かもしれませんが、先日借りてきた本の中にアイ勇線の写真に関する記述がありましたので、お知らせします。
書名:《異端の民俗学》 [石楽]川(こいしかわ)全次 河出書房新社 2006
記述:『台湾生蕃族写真』(台湾総督府蕃務本署御認可、1912)という写真集の最後の方に「アイ勇線前進と討蕃」に関する写真24種、「アイ勇線警備」に関する写真35種が載っているのを・・・・
巻頭には「台湾蕃族分布図」という石版多色刷りの地図が綴じこまれていて、点線によってアイ勇線が表されている。大南湾(台湾東北部)からハロン山、李東(棟ではなかった:筆者注)山、鹿場大山、大安渓、大甲渓、を経て、プ里社(台湾中部)まで続く・・・。蕃界内にはきキナジー蕃、北勢蕃、マレパ蕃、霧社蕃などの名前が見える。
なお、本には「樹木を刈って建設中のアイ勇線」、「アイ勇線に沿って出動する歩哨」、「打鼓信号で連絡をとりあう辮髪姿の歩哨」の3種の写真が載っています。
天気次第です。天気さえ良ければ本当に快適な稜線歩きが出来ます。でも、天気は選べませんものね。霧、或いは雨中であれば、写真に見るような笹の中の道は幾筋も付いていますので、どの道を選ぶか苦労します。
「アイ勇線」とは何か?これは私も長い間イメージ出来ませんでしたが、大体判ってきました。物理的には鉄条線による包囲網です。当時の写真を見ると鉄条線には電気を流していたことが判ります。海岸線は開放された線です。誰でも出入り自由です。この自由に出入り出来る線をどんどん山側に押しやっていくこと、これがアイ勇線を「前進」させるという意味です。
西海岸の平野部はもともと様々な人々が暮らしていましたので、アイ勇線は平野部と山間部の境界に設けられ、これをどんどん山側に押しやる、つまり原住民を山側に押い上げていくわけです。東海岸は海岸まで山が迫っている地形が大部分ですから、海岸線から押し上げていくわけです。これが大凡のイメージです。
当時の地図では、アイ勇線が一般居住民と原住民居住地の境界、即ち「蕃界」であり、蕃界の内側(山側)を「蕃地」と称していました。(終)
成る程、そう言われればそうですね。多分メイウェンティさんの言われるケースの方が多かったのだと想像します。アイ勇線に「穴」があればそこから出入りが出来ます。東側の場合、海岸線が特にそうです。それを塞ぐ為には、それまで延ばしてきたアイ勇線を更に延長し包囲を完全なものに近付けていく、多分そういうことだろうと考えられます。(終)