2014年01月11日
淡蘭古道−7
【写真説明】草嶺古道南側入口、大里ビジターセンターから古道最高点の文字通り草嶺に辿り着くまでに二つのマイルストーンがある。一つは左写真の護管所、そこから古道最高点を望んだ。もう一つは、中央写真、現地の案内板には「客桟遺址」と説明があるが、日本風に言うと、宿場、現代人は草嶺古道を歩き通す時、登山と言いかねないが、日本時代この古道は実は幹線道路だったのだ。右写真は、古道南段の一風景。下掲右写真は古道最高点から宜蘭県頭城鎮大里漁港方面、つまり太平洋岸の俯瞰。中央写真は同じ古道最高点付近から同古道北側を望む。右写真は古道北段をかなり下った辺りにひっそりと佇むベンチ。
<草嶺古道−2>
古道起点を大里−福隆両駅間とすると、その間は10キロ弱、北側からでも南側からでも四時間程度で歩き通せてしまう。古道は丁度新北市と宜蘭県の境界を形成する雪山山脈最北端の嶺々を乗り越す形になり、古道最高点(峠・鞍部)の標高は375メートル、大里ビジター・センターからだと約3キロ、一時間前後の登り一方、つまり、大里―最高点間の方が、最高点−福隆間より遥かに勾配がきついが、この間は亀山島を含む宜蘭県東側の海岸線並びに太平洋の素晴らしい眺望を背負いながらの登山になるので、疲れも吹き飛ぶ。
しかも、冬場に太平洋から吹き付ける強烈な季節風が植生に劣悪な特殊環境を創り出している関係で、これらの嶺々は全く見事としか言いようの無いススキ(芒・薄)(註12)の絨毯に覆われ特異な景観を呈している。これが「草嶺」の由来であり、毎年十一月一ヶ月間は国家風景区管理処主催でススキ・フェスティバル(註13)が開催されている。最高点を越えてしまえば、北側起点までは下り一方で、最後は、山間(やまあい)に切り開かれた水田を中心とする遠望坑(新北市貢寮區)という村に出る。日本ではとうに失われた、大台北の近くにも拘わらず丸で過去より時間が止まったままかと見紛う農村風景が広がる。(>(メルマガ「台湾の声」2012年11月10日掲載分の一部を改編)(続く)
(註12)台湾では「白背芒」と呼ばれ台湾北部の中低山岳地帯の植生が典型。陽明山国家公園一帯のススキ群も同様である。正式和名は筆者では特定出来ず。
(註13)正式イベント名は「草嶺古道芒花季登山活動」。
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