2013年09月28日
八通関古道東段−3
【写真説明】佳心(カシン)駐在所跡の何に驚いたかというと石垣の精緻さと高さである。古道東段を蕨まで辿ったのは2008年であるが、その後、この石垣の見事さは何時も頭の隅に引っ掛かっており、そのイメージが引っ張り出されたのは、2011年にMSM産経フォト−「雲海に浮かぶ天空の城」を見た時であった。「天空の城」とは兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡、朝来市の公式サイトに詳しい解説があるが、参考までに概要を本記事下に抜粋しておいた。同時に、カシン駐在所跡に附された中国語・英語の案内板解説の全訳を付け足した。
[引用開始]
古道東段-自然の中の歴史博物館(3 )「佳心」
佳心駐在所跡の保存と整備状況には舌を巻く。この日本時代の駐在所跡の歴史遺産としての取り扱いは、その遺構の規模と併せて、おそらく台湾で最も優れたものの一つである。しかも標高八〇〇メートルの高台にあるため、ラクラク渓を眼下に従えた眺望がすばらしい。登山口から四・五キロ、約二時間の行程である。(続く)
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竹田城跡(別名「虎臥城」):
竹田城跡は、山城遺跡として全国でもまれな完存する遺構であり、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。
秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっています。この雲海に包まれた姿や竹田城から見下ろす風景は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、いつの間にか「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになってきました。この幻想的な風景を一目見ようとたくさんの人々が訪れます。
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カシン(佳心):
ブヌン語の「カシン」は「絶景の地」の意、当該部落の地勢が展望良好な所から名付けられた。日本時代には此地には駐在所があり、1920年6月29日に設置、1944年に廃棄された。海抜約820メートル、当時は凡そ11名の人員が配置されていた。駐在所の南側の山腹にカシン部落があり、今現在展望台として整備された場所に、カシン乙種蕃童教育所、カシン蕃産交易所、カシン療養所があった。カシン部落は、カシバナ社に属し、当社住民は巒社群に区分けされ、居住範囲は、カシン駐在所から黄麻渓谷に沿った一帯で、八通関越嶺道の両側、標高650メートルから930メートルの間に分散、居住していた。
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