2013年09月21日
八通関古道東段−2
【写真説明】八通関古道東段を歩き始め最初に遭遇する日本時代の遺物は山風駐在所跡、案内板が立ち、かなり広い平地は公園仕立てに整備されているので見逃すことは無い。但し、当時の面影を探そうとしても石垣ぐらいしか見当たらない。上掲写真はそのような山風駐在所跡の三枚。そこを過ぎて暫く進むと、がっしりとしたコンクリートの橋柱に支えられ、どっしりとした出立でハイカーを迎える山風橋に出遭う。その下の岩場を滝が洗う。上掲左写真に写る案内板全訳を最後に加えた。
[引用開始]
古道東段-自然の中の歴史博物館(2 )「山風橋」
山風駐在所跡をしばらく進み、鋼鉄製の長く、非常な高度感のある吊橋を渡ると、すぐにもう一本の瀟洒な吊橋に出会う。両端のコンクリート製橋門頭には、「山風橋」の実に風雅な日本語が刻まれている。台湾の山中奥深くに残る日本時代の橋遺構は多い。八通関古道上にも少なからず残るが、このように現役のものは今やほとんどないのが現状である。(続く)
--------------------------------------------------------------
山風(さんふう)=日本語:
現在展望台がある場所で、日本時代には此地には駐在所があり、1920年6月29日に設置、1944年に廃棄された。海抜約545メートル、当時は凡そ9名の人員が配置されていた。此地は元々はブヌン族アサンライガ社(?筆者註:案内板には「阿桑魯崙」の表記、下述の「アサンライガ」の漢音表記は「阿桑来嘎」)の居住地であり、八通関越嶺道開通後、日本人が「山風」と改めた。同駐在所を経てカシン方面へ向かうと、山風瀑布があり、大里仙山を乗り越して来た涼風と共に飛沫となり飛び散り、吊橋から下を見下すと暑さも吹き飛んでしまう。山風付近の部落はカシバナ社より移遷して来ており、それらの部落遺構は現在の山風1号橋と2号橋間の稜線上に散在している。周囲の植生は闊葉林(広葉樹)。これらの部落と清水社、鹿鳴社、アサンライガ社、カシバナ社とは親族関係にある。
--------------------------------------------------------------
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック