2013年09月14日
八通関古道東段−1
【写真説明】左写真は花蓮県玉里市街地郊外、同県卓渓県玉山国家公園南安ビジターセンター脇にある警察署、八通関古道を複数日に渡り歩行する場合はここで入園証を提出、且つ入山証を取得する必要がある。プレートに写る山は、ビジターセンター前を流れる楽々(ラクラク)渓越の山々の稜線、それらも八通関古道に因む。中央写真は、省道30号線の終点、即ち、八通関古道東段出入口である。右写真は、古道を1キロ程入った地点にある里程標、「瓦拉米」とは「わらび(蕨)」の日本語を漢音訳したもの、「歩道」とは中央写真に写る地点である。
メルマガ『台湾の声』に八通関古道を紹介した時点で、私が実際踏査したのは、東埔温泉から八通関までの所謂日本時代(=清時代)開鑿の西段のみで、それを超えた記事内容にはなっていない。本ブログのカテゴリー「八通関古道-西段」はこのメルマガへの投稿記事をベースにしたものだ。他方、「日経ギャラリー」2009年7月号(NIKKEI GALLERY Vol.74)に掲載された『宝島の歴史を辿る 台湾古道を行く 第1回』では東西両段+鹿鳴段がカバーされているが、長大な東段を少しばかり穢しただけの踏査記録をベースにしている。
いずれにしても、台湾百岳+八通関古道全段踏査が私の夢というか、ライフワークである。最近はとんと花蓮方面へ足を延ばす機会が無いので、備忘録として、「日経ギャラリー」2009年7月号所収の記事から東段の部分を抜粋しながら、文字通り、八通関古道東段の触りを数回に渡り紹介することにした。
[引用開始]
古道東段-自然の中の歴史博物館(1)「瓦拉米歩道」
東段は、花蓮県玉里郷玉里の市街地から十キロほどラクラク渓を遡った場所にある、南安ビジターセンターが起点になる。ここには「八通関越道路開鑿記念碑」が安置されている。実際の登山口へは更に六キロ、自動車道を進む。
ラクラク渓右岸に開鑿された古道東段は、西段に比してはるかに長蛇であるが、一般の登山者を考慮し、最初の約十四キロ、一泊二日で往復できる段は、特に「瓦拉米歩道」と名付けられ、保存・整備が進んでいる。瓦拉米とは「わらび(蕨)」の中国語音訳であり、日本統治時代、同名の駐在所が置かれていた場所で、現在は山小屋が立つ。
日本時代の警備道東段は、ブヌン族と台湾総督府の鬩(せめ)ぎ合いが激しく、かつ長期間に及んだ場所だけに、設置された駐在所もおおよそ四十箇所を数え、それらにちなむ遺構・遺跡が多い。瓦拉米歩道の場合、登山口から順に、山風、佳心、黄麻、蕨の各駐在所跡に、中国語と英語で丁寧な解説が施された案内板が立てられている。(続く)
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