2013年08月17日
蘭嶼−14
【写真説明】左写真は蘭嶼から後壁湖に戻るフェリー上から恒春半島方面を撮影、雲上に浮かぶのは左、南大武山(標高2,841メートル)、右、北大武山(同3,092メートル)、同写真手前に写り込んだ山々は精々500メートル前後だ。中央写真は、筆者の貧しきデジタル・ズーム20倍で撮影した両大武山、北大武山の稜線の荒々しさと、両峰の間の大きなキレットが良く判る。高雄側から見ると、当然だが、両峰は南北全く逆になってしまう。右写真右側に写る台地は、台湾本島最南端。
<天空の城・雲上の楼閣>
「蘭嶼−3」でこう書いた;
「私が断然墾丁国家公園の南湾西岸に位置する後壁湖漁港からのフェリーを選んだ理由は二つ、台湾本島最南端沖を通過し、且つ、本島を海上、つまり海抜ゼロ・メートルから望むこと。それと、トビウオの飛翔を見ること。」更にもう一つこう書いた;
「何時かは高雄−基隆間を運行するフェリーに乗り、嘗てのオランダ人、スペイン人の船乗り達と同じように新高山(現玉山)を台湾海峡から望んでみたいというささやかな夢がある。というのは、海上から見る新高山は、地上から眺めるのと異なり、海上から競り上がるようにして相当な高度感を持ち天空に浮かぶ感じがあると何処かで読んだことがあるからだ。新高山は無論見えないだろうが、せめて中央山脈南部、例えば関山とか北大武山が普段とは全く異なるイメージで見えてくることを期待したが、残念ながら当日は天気は良くても本土側は雲が多く確認出来ず。」
そう第一回目の渡航では、私が期待したものには巡り会えなかったのだ。正確に言うと少し違う。実は、三角峰らしき高山が幽かに見えていたのだが、雲と見紛うばかりだったし、もし山なら関山ぐらいか?と勝手に想像していたのだ。
二回目の渡航の帰りに撮影したのが上掲の二枚の写真だ。一回目の渡航で認視ぎりぎりの三角峰は南大武山だったのだ。想像していたより相当内陸に見えていることを確認した。
さて、台湾本土最南端は「鵞鸞(鑾)鼻」と表記される。日本時代は、台湾八景の一つに選定されており、「ガランピ」と片仮名表記されることもあった。ウィキペディアにはパイワン語で「帆」を意味する漢音訳だとの解説があった。出典は明らかに、安倍明義の『台湾地名研究』で、そのパイワン語の発音は「go ran」と書かれている。帆とは鵞鸞鼻半島西側にある「船帆岩」、よく目立つ。鵞鸞鼻半島の地図を眺めると、正に鳥の頭部と嘴なのだが、それも噛み併せた地名?多分、当該地名が出来上がった頃は航空撮影は存在しなかったはずですが。でもナスカの地上絵の例もあるし?
陸地側には公園が設えられ、そこに「台湾最南点意象標誌」が建っており海上からでも確認出来るらしいが気付かず。下掲写真は私が視立てた台湾最南端である。(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック