2013年07月20日
蘭嶼−10
【写真説明】旅行者にとっての蘭嶼のイメージとはどういうものだろうか?と思い、二枚(左=イラヌラミク村、中央写真=イマウルッル村)集めてみた。これらを眺めれば誰でも溜息が出そうで、行ってみたい!と即座に思う読者もいるかもしれない。では、ここで生活してみたら?と言われれば大概の人々が尻込みするだろう。右写真は、今回の投稿中で紹介している東清湾西側に浮かぶ軍艦岩、戦後の命名だと思う。下掲左写真は、タオ族に嫁いだ本土人台南娘の嫁ぎ先、「262」というイワギヌ村にある旅館。同写真右に写る白い看板上の「達悟」は「タオ」族の現代台湾漢字表記。その娘さんが切り盛りする食堂兼バーが右写真、旅館からイワギヌ村大通りを東側に少しだけ辿った場所にある。
<『等待飛魚』>
『台湾の声』への2012年5月の投稿には収録し切れなかった題材を数回の記事に分けて掲載する。
最近になって台湾領有の島嶼を巡る台湾の或る旅行雑誌を見ていたら、それら島嶼を舞台にした台湾映画の紹介コーナーがあった。そこに2005年に封切られた『等待飛魚(Fishing Luck)』の紹介が出ていたので、早速、中国の(フリー)映画サイトに入り、一気に観た。「等待」とは待つの意味である。
元より映画のストーリー自体には興味が無く、蘭嶼の何処をどう使っているのか?が唯一の関心であった。ストーリー自体は至極単純、大都会から出て来た女性と地元男性との恋物語だ。それを地で行ったケースを筆者自身目撃する機会があり、しかもそのケースは当該映画封切り後の話なのだが、実際映画の影響かどうか?は判らない。
飛行場、漁人(イラタイ)部落、野銀(イワギヌ)部落、青青草原、開元港、気象台、東清海岸。。。蘭嶼でロケに使われた地点は映画を観ながら直ちに特定出来たのは、周囲40キロ程度しかない小さな島故というより、六ヶ所の部落と景点が極めて特徴的だからだろう。尤も、映画の冒頭で、飛行場から出てヒーロー+ヒロインが車で走り始めた海岸が映し出されたが、島の正反対側にある東清海岸の軍艦岩だったのには少々びっくりした。そういうちぐはぐな部分が他にも多少見受けられたが、これは映画である。因みに、軍艦岩は日本時代は駱駝岩と呼ばれていたのだが、大東亜戦争時に米軍が日本軍艦と見間違い攻撃したエピソードに依る。(続く)
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