2013年07月06日

蘭嶼−8

Kodou-1130.jpg Kodou-1131.jpg
【写真説明】「無料」で撮らせて貰った(或いはこっそり誰にも見られないように?)撮らせて貰った、蘭嶼の魚の風物詩を二つ。4月から6月の三か月間、島内の至る所に、このトビウオの一夜干し(日本風に言えば?)が掛かる。トビウオ漁は夜中に行われ、採れたてのトビウオは夜明け前に卸され干されるのが普通のようだ。イラヌリミク村で撮影。右写真は、イワギヌ村の大通り脇に吊るされていた。干されからからのはずだが、人工ゴムのような不思議な鱗の持ち主の名前は調べが付いておらず。

<写真撮影>
さて、同村で、軒先に下がった魚の干物を撮影してよいかどうか?を傍に居た或るご老人に尋ねた所、暗にお金を払うよう促された。幾ら払えばよいのか?と聞くと500元(現在のレートで約1,400日本円)という法外と思える値段を言われたので愕然とした。近くのお店の中年のご婦人に、ここでは何処でもそうなのか?と聞くと、皆が皆そうではないが、写真を撮る時は一応聞いた方がよいということだった。野銀村の台風対策を意識した半地下の伝統家屋は、今でも現地の方が起居しているので、外来者にとっては格好の被写体なのだが、ここで撮影していたら大声で怒鳴られた。撮影を止めろというメッセージだ。では、どのようにしたら怒鳴られないのか?現地の方に案内を頼みお金を払えばいいことに程無くして気付いた。

蘭嶼を含む台湾が日本の版図に組み込まれて以来、タオ族は良くも悪くも好奇の対象として外来人に晒され続けてきた帰結だろうと理解した。特に、戦後間も無く一般の観光客にも門戸が開かれて以来、島内の動植物、珊瑚の乱獲が進行し自然生態系が大きく破壊されると同時に、タオ族の伝統文化も大きく変遷、大部分は消失していくというお決まりのコースを辿る。しかも観光産業資本は外来の所謂「漢人」(通常原住民が原住民以外の台湾人を指す呼称)に完全に牛耳られている。尚、蘭嶼と呼ばれるようになったのは戦後、1947年からで、本島特産の胡蝶蘭に因んでいる(註6)。>(メルマガ「台湾の声」2012年05月01日掲載分の一部を改編)次回へ続く...

(註6)戦後間も無く開催された国際花卉(かき)展で蘭嶼産の胡蝶蘭がグランプリを獲得したのが切っ掛けである。尚、胡蝶蘭の乱獲が進み絶滅寸前まで至ったのは何も戦後だけのことではなさそうだ。『東台灣展望』に依ると、日本統治時代も原住民は胡蝶蘭の採集・外地人への販売を許可されていたようで、1931年(昭和6年)になりやっと全面採集・販売禁止令が台東庁から出されている。
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 蘭嶼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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