2013年05月25日
蘭嶼−2
【写真説明】恐らくは観光以上に台湾人の耳目を集める1982年設置の台湾電力(低レベル)核廃棄物貯蔵所に関連した写真を掲載する。左写真は核廃棄物の搬入港である龍門港、蘭島の南東端の入り江、1996年以降は、低レベル廃棄物は(暫定的に)各発電所で貯蔵されることになったので、爾来未使用の港ということになる。水は何処までも碧い。そこから環島公路を反時計周りに少し進むと、貯蔵所がある。中央写真は正門。この正門脇は僅かばかり開けてあり、そこには自由に見学出来る旨が書かれていたので、なら、写真撮影も自由のはずだとパチパチやっていると、警備員が飛び出して来て丁寧に断られた。これが中国なら怒鳴られるのは必至だろうなあ?とすぐに思った。右写真は同場裏側。
<楊南郡>
もう一つ、「台湾の声」の読者に蘭嶼を紹介しようという気になったのは、蘭嶼から戻った後程なくして或るDVDを見たからである。そのタイトルは『縦横山林間―鹿野忠雄』(國史館、2011年9月出版)、このDVDの存在を知ったのは、金子展也氏のブログ『台湾に渡った日本の神々―今なお残る神社の遺跡』を通じてである。鹿野忠雄のことは以前にも台湾古道シリーズで何回か紹介したことがある。台湾の博物学、民族学のパイオニアとして大きな足跡を残しただけではなく、山岳家として、台湾人山岳家に今でも読み継がれている『山と雲と蕃人』を残し、最後はボルネオで行方不明になったとされる。
このDVDを見始めて私があっ、と思ったのは、まず、導入が蘭嶼から始まったこと、そして、その案内役が、台湾古道研究の第一人者、DVD撮影時80歳の楊南郡氏(1931年・昭和6年生まれ、現台南市龍崎区出身)だったからだ。つまりこのDVDは、鹿野忠雄の足跡を楊氏が案内役として紹介する形をとっており、楊氏はこのDVDの収録の為、鹿野忠雄縁(ゆかり)の東京大学と京都大学まで足を運んでいる。私は何時かは楊氏の日本語を聞いてみたいものだと願っていたが、DVD中ではその日本語で存分に語られておられる。尚、同DVDは字幕、ナレーションは日本語、英語でも供されている。先程、「台湾人山岳家に今でも読み継がれている」と書いたが、それは楊氏がこの名著を中国語に翻訳したからだ。日本では現在は文遊社から同書は出版されているが、その解説、注釈は楊氏の手に成るものである。戦後70年になろうとしている現在、同書に本当の意味で註を加えられる日本人は最早皆無ということである。
タオ族の伝統祭儀であるトビウオ祭り、チヌリクラン(タオ族の十人乗り伝統漁船)進水式等を代表とする蘭嶼の観光地としての魅力に併せ、台湾電力核廃棄物貯蔵所に関する台電対住民の争議(註2)は、今現在は台湾に興味のある日本人、とりわけ「台湾の声」の読者には広く知られていることだと思われるので、それらの紹介は最小限に留めることにし、今回は私が初めて蘭嶼に渡り一泊二日した際の印象を時系列順に紹介することにする。>(メルマガ「台湾の声」2012年05月01日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
(註2)台東県の公式観光サイトの日本語ページの「蘭嶼」の紹介にも同貯蔵所の判り易い案内が出ている。
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