2013年05月18日
蘭嶼−1
【写真説明】蘭嶼紹介のプロローグとしてどういう写真が相応しいが悩んだが。。。左写真は蘭嶼が元々紅頭嶼と呼ばれていたことを示す写真、同写真に写る山々の頭に赤土が覗いている。蘭嶼の最高点は紅頭山の552メートルだが、同写真には写ってはいないと思う。中央写真は、蘭嶼の最大集落(→[訂正]島嶼内、人口最大の集落は、東清、左メニュー『古道俯瞰図』から「蘭嶼」を参照)、紅頭村内にある恐らく同島最大の宿泊施設「蘭嶼別館」越しに見る紺青の海、日本時代から何故か?八代湾と呼ばれている。右写真は蘭嶼南海上に浮かぶ小蘭嶼、最高点は175メートル。
<紅頭、ヤミ、タオ、>
蘭嶼は台湾本島の南東沖(緯度上は墾丁国家公園の真東)、台湾本土最南端の鵞鑾鼻から41海里(約75キロ)の太平洋上に浮かぶ周囲40キロ程度の島である。台湾領有の島嶼の中では唯一原住民族が先住民として暮らす島である。その海洋原住民族は、日本の台湾領有後間も無く同島を踏査した鳥居龍蔵に依り、ヤミ族と呼称され、現在まで普(あまね)く使われてきたが、1998年になりタオ族に改称された。タオ族の人口は現在4,000人前後(註1)である。
蘭嶼は日本時代は紅頭嶼と呼ばれていた。その理由は現地に出掛けてみればすぐ判るが、島の最高峰である紅頭山(標高548メートル)とその両翼の頂上稜線上が赤いからである。私がこの島を訪ねた際この紅頭山に登頂することも目論んでいたのだが、現地の方に今は登る人なんかいないと言われ、加えて日中は半端な暑さではないことを即座に了解したので、あっさり断念した。従って、この赤の正体が岩なのか?土なのかは未だに判らない。蘭嶼自体は火山活動に依り形成された島である。
台湾古道シリーズの中で蘭嶼を取り扱うのは、日本時代作成の地形図上の道路と現代の自動車道とが全く変わっていないことに気付いたからだ。島を一周する周廻道路と島のほぼ中央部を南北に横断する一本の道路で構成されており、平野部がごく僅か、海岸沿いに点在する六つの集落は、日本時代とその位置と数は変わらない。変わり様がないと言われればそうかもしれないが、私にしてみれば立派な古道である。>(メルマガ「台湾の声」2012年05月01日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
(註1)蘭嶼の全人口は4,644人(2011年9月現在、蘭嶼郷戸政事務所公開の最新人口動態に依る)。この内、タオ族は3,956人(2011年4月現在、行政院原住民族委員会に依る)。
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