2007年03月15日
浸水営古道−16
【写真説明】左写真は屏東県東港鎮、大鵬湾国家風景区にある「二次大戦軍事遺蹟」内の「本部連」と名付けられた建物。案内板に拠ると「日本海軍第六十一航空場東廠支場本部」とあり、戦後は台湾空軍参謀大学等に利用された説明されている。戦後かなり改築されてはいるとは思う。私が訪れた時はこの建物の付近で数人が水彩スケッチを楽しんでいた。右写真は同遺蹟内の広大なエプロン。同写真の右側は大鵬湾に面しており、嘗て日本海軍の水上艇が繋留されていた。写真の水上艇を模した建造物は、この地が大鵬湾国家風景区に接収された後に作られたアトラクション用のもの。この嘗てのエプロンは今は駐車場兼イベント用の広場である。
浸水営古道は現在台湾で最も広範囲の層にアピールするだけの魅力を持っているだけに、ネット上で様々な紹介記事を検索出来る。その紹介記事・踏査記録も一般のハイキングから学術調査に到るまで幅が広い。最近そのような記事を見ていたら、「屏東県林仔邉自然文史保存協会」の手になる紹介記事に行き当たった。その紹介記事の最後に三つのモデル・コースが示されており、その中の一つのコースが「日本在屏東的経営参訪」(屏東に於ける日本経営史蹟探訪)というタイトルが付けられており、そのコースの最初が「大鵬湾日本海軍航空隊水上機場」、二番目が「来義今日二峰[土/川]地下伏流水利用」、コースの最後が浸水営駐在所跡までの往復になっていた。大鵬湾に嘗て日本海軍航空隊が?水上機場とは?大鵬湾の東側を走る省道17号線は車で始終往復しているのだが、これまでついぞその存在に気付かなかった。
大鵬湾は鮪(まぐろ)の水揚げですっかり有名になった東港の南側に接する湾で、林邉渓と東港渓を南北端にしその間が砂州で囲まれた湾で、日本時代は大潭と呼ばれた場所である。湾とそれを囲む広大な地域が現在大鵬湾国家風景区に指定されている。17号線は大鵬湾脇を走っているのでこの風景区に指定された地域がどんな場所かは容易に見て取れる。猥雑とした湾沿線とイメージしか持っておらずこれまで一度しか足を踏み入れたことが無い。つまり興味をそそられなかったのだ。台湾海峡を臨む海岸端まで行ってそくさくと帰ってきたことを覚えている。
大鵬湾国家風景区の公式サイト(http://www.tbnsa.gov.tw/)を見てみたら風景区案内図に確かに「二次大戦軍事遺蹟」として明記されており、サイト内に大鵬湾の開発史から日本海軍航空隊の各遺蹟の紹介がかなり詳細に書かれている。但し、これは中国語での紹介のみ。同サイトは日本語でも閲覧できるが、「二次大戦軍事遺蹟」は「大鵬キャンプエリア」に刷り替えられており、この遺蹟は「1937 年、日本の海軍航空隊がここを埋め立てて整備し、水上飛行訓練場を建設しました。そして、第二次世界大戦における日本軍の南進基地として使われました。」とのみ紹介されている。戦後は台湾空軍がそのまま引き継いだ。
早速行ってみた。何時の間にか立派なビジター・センター(遊客中心)とそれに付属する宿泊施設が出来ていたのにまず驚いた。残念ながらビジター・センターの南側に広がる空軍跡地は工事中で、工事関係者以外は立ち入り禁止となっていた。この空軍跡地を国家風景区管理処が接収し公園化したのは2003年、つい数年前、その時公園化に必要な整備は完了しているのに、改めて工事をし直す理由は定かではない。それ程大掛かりな工事には見えなかったが、「軍事遺蹟」を別な形で再利用することを企図しているのか?それなら、やがてこの遺蹟は消滅する可能性がある。
で、この工事現場を暫く眺めていると、明らかに地元の人が運転する車やバイクが咎められずもせずにどんどん入っていくので、私もトラック、ブルドーザーの横をすり抜け入ってみた。まず、敷地の広大さに驚いた。更に、軍事遺蹟の多さに更に驚く。公園内にある総合案内板それらの遺蹟の横に中国語と英語で丁寧に説明された案内板が立つ。「外地」に於いて、旧日本軍の遺蹟をプロパガンダ無しでまとめて見せられることへの驚きでもある。(終わり)
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