2007年02月23日

浸水営古道−13

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【写真説明】浸水営古道のブログは12回で一旦完結させる予定にしていたが、もうニ三追加することにした。左写真は先のブログ「浸水営古道−5」で紹介した帰化門社(日本時代:キナリマン社)に於けるパイワン族頭目の住居跡全容。キナリマン社跡地は最近になり膨大な藪が払われ日本時代は四百人強が居住していた部落の一部が姿を現した。浸水営古道−5の写真を撮影した2006年1月時点では、藪の一部から僅かに覗いていたこのパイワン族頭目の住居の壁の一部分(左写真の住居左端)のみが、嘗てはこの地域に部落が存在したことを確認できる唯一の便(よすが)であったが、今はこの頭目の住居跡だけではなく、駐在所、学校(=蕃童教育所、戦後は国民小学校)まで併せ持った旧部落の一部領域を観察できる。中央、並びに右写真はその一例。どういう意図の基に誰が藪を取り除いたのかは判らない。調査・研究の為だけであれば、夏を一回経てしまえば、また藪に復する。舗装された自動車道の脇なので今なら誰でも簡便に立ち入り可能だ。

帰化門社は1960年代半ばから当地から現在の帰崇村への移遷が始まった。現在の地形図には帰化門の地名は既に無く、帰崇村の由来もキナリマンと称しているのを見たことがあるので、現在は地形図上、旧帰崇と記されている地点はキナリマン社の一部を形成していたと思われる。戦後、教育所は帰崇国民小学校へと引き継がれたが、1971年廃校、実質的に廃村となる。今回藪が払われた領域の最高所はかなり広い平坦地になっているがこの小学校跡地であろう。

「浸水営古道−3」で紹介したように、1914年(大正3年)の浸水営事件以降、事件引発の首謀者と目されたリキリキ社の一部を強制的に移住させ出来上がったのがキナリマン社である。旧リキリキ社は大漢山林道を溯ること約14キロ地点、海抜約1,000メートル前後、キナリマン社は約5キロ地点、海抜約500メートル程である。現在、大漢山林道起点付近の力里渓最下点沿いに、嘗ては力里渓上流渓谷沿いに散在して居住していたパイワン族の村が集中している。即ち、春日郷力里村(リキリキ)、七佳村(チカタン)、帰崇村(キナリマン)、南和村(高見[タカミ]村と白鷺村が合併、旧白鷺村は日本時代のパイルス社)である。住居が密集している辺りは既に海抜が100メートルにも満たない平野部である。山の民が山を降りることの意味を考えさせられる。因みに「キナリマン」とはパイワン語で「消失した場所」という意味だそうだ。(終わり)
posted by 玉山 at 11:08| Comment(7) | TrackBack(0) | 浸水営古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても興味を引かれる内容だったので、書くことにしました。連続で書いても決して急かしているわけではなく、読んですぐの気持ちで書きたいと思ったまでですので、気になさらないでください。

この写真を見てすぐ、いつかお話したサキヌの小説の老部落の頭目の家とはこういうところなんでと思いました。ここで生まれ、泣き、笑い、争いもあり、温かな皮膚を持つ人が暮らし、死んでいったのですね。400人強が暮らしていたとすれば、小学校には50人ぐらいでしょうか?その子供たちは今、おじさん、おばさんと言われる年代ですね。彼等は帰化門社に対して、また、移遷に対してどんな風に思っているんでしょうか? 台湾原住民族の文化として、どの民族だかは覚えていませんが、死者が出た場合に家の中に遺体を葬り、その家を放棄(というのでしょうか)したり、占いによって家を変えたり、部落の位置に不都合があり、皆で相談をして部落をそっくり移動したりと、今より移動に対して抵抗がなかったようには思えますが。しかし、有形無形に関わらず、それによって失われるものも多いと思います。勿論反対のこともあるでしょうが。

今回の『藪が払われて〜』と言うのは、分かったから出かけてのですか?それとも、現地に行って初めて藪がきれいになっていることに気が付いたのですか?どちらにしても心が踊ったことでしょうね。ある物、事に興味を持ち、関わっていくうちに色んなものが段々見えてくる、思いがけない繋がりを発見すると言うことはとても面白いことですね。多分そんな気持ちを持ちながら動いているだろう事を想像するとこちらまで楽しくなります。ありがとうございます。

Posted by メイウェンティ at 2007年02月24日 03:14
メイウェンティさん;

何時もコメント有難うございます。蘭の花でも咲いているのではないかと思い古道沿線上にある或る山(姑仔崙山)に日帰りで登りに行く途中、通り掛かったら藪が払われていたので驚いたわけです。実際帰化門社跡がある場所はかなり低い場所でそこから少し上がると派出所(大漢山林道に入る車の為の検問所)がありますし、現在の力里村を見下ろせます。舗装された自動車道脇にありますから、他の山地原住民の原部落と現在の部落の高度差は現代人の感覚では途方も無いケースが多い中、何故山を降りなければならなかったのか、よく判りません。元来が狩猟の民ですが村を形成して暮らしていましたから、外的な要因によって移住せざるを得ない場合、非常な苦痛を強いられたはずです。これは現代のどの国でも同じですが。それでも元の場所に頑なにしがみ付く人もいます。廃村になった旧部落に電気、水道無しで暮らしている原住民の方は少なからずいます。これも日本の現代も同じですね。例えば、鹿児島の桜島、噴火による火山灰、火山弾等で被害を被った被災者の為に県が別の場所に住宅を用意してもなかなか移らないという話をかなり以前聞いたことがあります。戦後の山地原住民の低地への移遷はこのように台風等の自然災害が原因になっているケースが多いのではないかと想像します。低地に移遷した後も更に別な低地に移遷するというケースもありますがこれは明らかに自然災害(洪水)です。ブログで触れた七佳村がその例です。このケースに付いてはそのうちブログで書くことがあるかと思います。

「心が踊った」かどうか?は難しい所です。私は絵画、写真等を専門にする芸術家ではありませんものね。「廃墟の美」と云われるものがあり、これは現代人だけが保有している感情ではなさそうです。人間は古来から廃墟に心を寄せてきたところがあります。(→谷川渥著「廃墟の美学」集英社新書参照)今は観光、その他を目的にお金目当てになっている部分もありますが。中華圏の人々は結婚する際、仰々しい写真を撮りますよね。スタジオだけでなく野外でも撮影している風景を目にしますが、台湾でも野外撮影用のスポットとして廃墟が選ばれる場合があります。日本時代に建てたぼろぼろの廃屋とか。藪を払った限りはその意図する所が学術調査なり、或いはまず原住民を始めとする地域住民を利するものであるべきだとは考えますが。(終)
Posted by 玉山 at 2007年02月24日 17:49
七佳村、地図を見ると、『老七佳村、旧七佳村、七佳村』とありますので、「どうして?」と思っていました。後で書かれるとの事、楽しみにしています。

心が踊ったであろうと思ったのは『廃墟』に対してではなく、『思いがけない出会い』に対してです。言葉足らずですみませんでした。
それにしても、あの撮られるのも恥ずかしいし、見るのもちょっと恥ずかしい写真を廃墟を背景にですか?十分瀑布で撮影しているのを見たことがありますが、廃墟でと言うのははじめて聞きました。そこにはつい最近まで他人の生活があったわけだし、そして、そこを去らなければならない事情があったわけですから、そこを考えない行為はちょっと悲しいですね。
Posted by メイウェンティ at 2007年02月25日 11:29
その通りです。「老七佳」はオリジナルの部落、「旧七佳」は低地移遷後、その後洪水で現在の「七佳」に移ってきた経緯があるようです。旧七佳と現在の七佳はそんなに離れていません。老七佳(チカタン社)は現存する最大規模のパイワン族旧村です。住民の間では世界遺産登録へ、という勇ましい声が上がっている程に見事な「遺蹟」ですが、まだここに住んでいる方がいるのですよ。ここは一度訪れる価値有りです。

例を一つ上げます。花蓮市内、太平洋を見下ろす小高い丘の上に「松園別館」というのが現在あります。旧日本軍の高級将校用接待所だった場所です。そこは戦後もそのまま残されぼろぼろになり倒壊しかかっていたのですが、2000年になり花蓮県により保存建築に指定され見事に修復され、今は一種のカルチャー・センター圏コーヒー・ハウスとして復活しました。そこに修復前の写真が掲示されていますが、その中に、廃屋をバックに撮った花嫁さんの写真があり、ほほーと思ったわけです。写真撮影を請け負った会社は、そこが旧日本軍に纏わるものという知識はあったでしょうが、そこに連れていかれポーズを撮らされた新郎新婦には恐らくそんな知識はなかったでしょうし、知る必要もありませんものね。(終)
Posted by 玉山 at 2007年02月25日 21:47
度々すみません。

白鷺村(バイルス)についてですが、バイルスの音をカタカナの響きで読んでいたので、気がつかなかったのですが、白鷺を国語で白鷺[上が(糸糸)下が鳥]と書いてローマ字併音でbailusiと言います。これは石門水庫に行って白鷺をも見た時に友人が教えてくれました。そして、普通語でもこのように言いますからbailusiという言い方は台湾だけではないと思います。普通、原住民族の村名はその民族の言葉を使っていると思いますが、このバイルスという名前はどう考えたら良いんでしょうか?
Posted by メイウェンティ at 2007年03月01日 23:56
メイウェンティさん;

日本時代は原住民族村落の名前は殆どの場合、原住民族言語に近い発音を殆どの場合、カタカナ表記してありました。中には、「キナリマン」社→「帰化門」のように日本時代から漢字表記してあるのも見当たります。戦後は、この日本語音をベースにして漢音表記にするか、国民党のプロパガンダのような全然別な地名に書き換えられています。後者の例は、例えば「復興」のようなもので、意図は異なりますが、日本で「自由が丘」みたいな地名を付けてしまうのと同じぐらい腹立たしいことです。漢字は表意文字で、それを表音文字のように使うわけですから、正確な日本語音は出せませんし、表音文字として使っても、どうしても漢字の意味が邪魔します。又、漢字の字数がバラバラになりますので、基本的に漢字二文字に纏められています。漢字表記の為の基本三条件というところでしょうか。それで、音を似せても字面(じづら)が悪ければ別な漢字を探してきます。「バイルス」→「白鷺」は音も似せられて且つ字面もいい点で成功している例と云えます。バイルス社が白鷺に所縁(ゆかり)のある部族、地というわけではないと想像します。「リキリキ」→「力里」(中国語読み「リリ」)は漢字四文字では長過ぎるので、縮めたものです。同じ例は、メイウェンティさんも行かれたことのある関山越嶺道沿いの天龍吊橋の掛かる「霧鹿」(中国語読み「ウル」)、日本時代は「ブルブル」社です。これも字面がいいですね。「チカタン」社→「七佳」の場合、中国語読みは「チジャ」、但し、「佳」は台湾語風に読むと「ガ」に近い音だそうで、台湾ですから必ずしも北京語風な音と限らないかもしれませんし、又、台湾ですから日本語式の音も混ざっているかもしれません。以上は私の経験的な考察で実際正しいのかどうかは判りませんので、これらを学術的に概観する為には出版物に頼るのがいいかと思います。台湾にはあります(正確な出版物の名前を教えて貰ったのですが、メモを無くしました。調べてみます)が、現代台湾の地名考が日本語で刊行されているのかは私は判りません。以上は現在の地名の話で、原住民語を今後台湾でどう表記していくのかは別な話です。

台湾は長い期間に渡り様々な民(たみ)が居住してきた国ですので、台湾の地名考もとてもおもしろく奥が深いと思います。例えば、池や湖も無い所に「湖」の付く地名が集中してあるところがありますが、これらは昔そこら辺りが水の豊富だった所とは考えにくいので、台湾語音を漢音表記したものだと考えられます。他に珍しい例としては、オランダ語を漢音表記した地名も残っています。「鉄線橋」がその一例で、これは何時かブログか「台湾の声」で紹介する機会があるかと思います。(終)
Posted by 玉山 at 2007年03月03日 06:35
丁寧な説明、ありがとうございます。

バイルスはパイワン語にその音の言葉があって、そこに意味に関係なくちょうど納まりの良い同じ音の白鷺という漢字を使ったということなのですね。田舎に行くと白鷺はけっこういますし、それに纏わる物だと思いました。しかし、そうだとするとその村は新しいだろうし、どうやってできた村だろうと不思議に思っていたのです。

地名では、安通が日本語からきていると思います。そこはアミ語でPangcah(臭いの意:硫黄の臭い)です。音は(Pはあまり聴こえない)アンツァッ(ハはのどの奥の音)→あんつう(安通)です。私はそこの近くには南通と言う地名もあるので、アントン、ナントンと読んでいたのですが、必ずしも国語で読むのが良いということではないということが分かりました。

地名と言うのは面白いですね。台湾に関するものも以前読んだことがあります。台湾資料センターで借りた本の中にあったと思います。ただ、一つひとつは全然覚えていません。ある本の一部分のことだったと思いますが、確か場所は台北辺りのことで、平甫族の時の名前、漢人が来てからの名前、それらが表記によって意味が変わったり等々のことで、ある一箇所の地名を辿ることによって変遷が見えてくると言うものでした。また、金田一京助の本でアイヌ語の地名に関するものがあり、そこに北海道だけでなく、東北地方にもアイヌ語に拠る地名がけっこうあるとありましたので、ということは今もアイヌ民族の子孫がそうと知らずにいるんだろうなと思いました。もっとも、混血が進んでいることはあたりまえでしょうが。このように、地名に関することをやると面白いことがたくさんあるんだろうなと思います。ただ、それをやるだけの脳味噌の余地がないのは大いに悲しいことです。

Posted by メイウェンティ at 2007年03月04日 00:00
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