2007年02月17日
浸水営古道−12
【写真説明】嘗ての高雄州と台東廳との境界を過ぎると台東側へ一気に下りとなり、約15分程で踊り場のような平坦地に行き着く。そこがこの古道名の謂れとなった浸水営である。左写真がそれで、同写真右側に営盤、並びに駐在所跡がある。西側古道入口からは約一時間程度の距離になる。ここまで古道散策を楽しみ西側入口に引き返せば、立派な浸水営古道探訪だ。ゆっくり歩きながら休憩も入れて三時間も掛からずに往復出来る。右写真は、嘗ての駐在所入口付近から駐在所構内を覗いたもの。写真ではその広さを実感できないが、駐在所はこの入口の左右に広がり、その幅約7、80メートル、奥行き50メートルはあろうかと思われる。その周囲をぐるりと囲む石垣の多くの部分が残っている。実際この警備道上で最大規模の駐在所であり、当時の駐在所の殆どが平屋であったが、この駐在所は少なくとも二階建てであったことが当時の写真を見ると判る。今は草と樹木が高く生い茂り視界が利かないが、当時の太平洋側への眺望は相当良かったことが想像される。
1901年(明治34年)、駐在所設置、1914年(大正3年)、前述した浸水営事件で焼失、その後再建、1936年(昭和11年)に廃棄された。ネット上で台湾総督府の公文書を閲覧出来ないかどうか検索していたら、偶々大正四年六月五日付けの駐在所新設に関する認可案に対する総督府指令に行き当たった。このブログの「お気に入りリンク」の「台湾国家デジタル・アーカイブ」が出所である。「台東○○パイワン族ノ暴動モ阿緱庁下蕃情ノ鎮静ト共ニ漸次秩序快復シ目下浸水営、姑仔崙ニ駐在所ハ復旧ノ情況ニ至レリ」(○は読めず、一部旧漢字は改編)とあり、浸水営事件以降の当地の情況を物語るものである。駐在所廃棄後既に七十年を経過、消失したのは建物だけで跡地は全くの手付かずである。(終わり)
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