2013年03月08日

新店獅仔頭山古道−6

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【写真説明】左写真に写るバイクの進行方向は古道東側、獅頭口への道であり、他方、同写真右端の道を遡れば獅尾口へ至る。同写真中央に写る三角山後方の稜線が獅仔頭山である。この古道東西入口の分岐点たる三叉路の撮影者たる筆者の背中は新店市街地へ降りる道なのだが、筆者の背中側に少しだけ下ると大きなカーブがあり、道脇のスペースに然程目立たない記念碑が設置されている。大東亜戦争当時、連合国側捕虜収容所があった場所である。

<礦窟捕虜収容所>
最後にもう一つ。

これは登山道上のランドマークではないが、獅仔頭山の二つの登山口を結ぶ自動車道路を新店市街側に少し下った場所は「礦窟」という地名で、ここは太平洋戦争中、日本軍に依るシンガポール、香港攻略後にイギリス軍・カナダ軍捕虜を移送したとされる収容所(英文ではKukutsu Prison of War Camp)があった場所で、2000年に三名の元イギリス兵に拠り記念碑が建てられている。

碑の全文は以下の通りである:

1942-1945
IN MEMORY OF ALL THE MEN
WHO WERE INTERNED
BY THE JAPANESE DURING WW II
IN THE KUKUTSU PRISONER OF WAR CAMP
FORMERLY LOCATED ON THIS SITE.
‘WE WILL REMEMBER THEM”

謹此追念二次大戰期間被日軍囚役於礦窟俘營
的所有戰俘們、此地為戰俘營舊址。
“我們永遠記得他們”


以上述べてきたように、新店の獅子は、台湾領有初期、「防蕃・理蕃」政策時期、更に太平洋戦争期という日本の台湾統治時代をつぶさに見続けてきた生き証人ということになる。

新店獅仔頭山は台北圏からなら日帰りのハイキング・コースで、登山道は広く、よく整備され誰でも簡便に散策出来る低山だ。筆者が私淑する楊南郡(註)に「山に入れば台湾が見えてくる」という言葉があるが、そんなささやかな体験が出来るのではないかと希望するものである。>(メルマガ「台湾の声」2008年6月21日掲載分の一部を改編:終わり)

(註)国家公園管理処の委託研究事業である楊南郡氏に依る「八通関古道西段・東段調査研究報告」と「合歓山越嶺古道調査報告」は台湾古道研究の金字塔であり、既に戦後七十年を経たことを考え合わせると、同氏の研究を越えるものが今後出て来ることは有り得ない。これら日本人に拠り開鑿された古道も今は異なる国家となっている為、最早現代の日本人に同程度の踏査・研究は望むべくもなく、それだけに日本統治時代に光を当てた同氏の功績は大きく、又貴重である。
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 新店獅仔頭山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは
はじめまして、川田と申します、台湾の台中に住んで約15年になります、週末は子供たちを連れ近辺の山や古道を歩いてます、今日初めてここブログを見ました、なぜか少し感動しました、台湾の山を歩いてる日本の方がいたのだな〜と

もし中部に来る機会がありましたら是非一緒に山または古道を歩いてみませんか
Posted by HIROE KAWATA at 2013年03月08日 15:14
川田様;

弊ブログをご贔屓いただきありがとうございます。

宇都宮のご出身ですか?私は仕事の関係で1997年頃一年近く駅前近く(千代田生命ビル)で仕事をしたことがあります。その後アメリカへ渡り放浪生活が始まりました。

今現在の仕事場は中国蘇州、時々台湾に戻り山に登っています。何時でもご連絡お願いします。(了)
Posted by 玉山 at 2013年03月09日 00:20
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