2013年02月22日

新店獅仔頭山古道−4

Kodou-1058.jpg Kodou-1063.jpg Kodou-1060.jpg
【写真説明】獅尾側から入ると暫く緩やかな登りの後獅尾格坪と呼ばれる平坦部に出てそこにテラスが設けてある。そこを過ぎると急な登りに掛かるが、そこに「大土匪洞」、頂上三角点に至る登山道から右側に分かれる枝道を行くと「小土匪洞」に至る。どちらも自然の洞窟であるが、実際は本記事最下段に記した謂れがある。上掲左側二枚写真は土匪洞への道順を示す新旧の標示、右写真は「大土匪洞」の入口、下掲の三枚は、上掲右写真に写る岩壁の最上部で、嘗て機関銃が据え付けられていた砦跡ではないかと筆者が推定した場所。しかし、この砦、実際は誰が築いた?抗日義勇軍、或いは日本軍?当地に据えられた案内板の説明でははっきりしない。

<緑野史蹟公園>
獅仔頭山の頭側、尻尾側、どちらから入ってもゆっくり散策して二時間程度で歩き通せる。

筆者が最初に登った時は、あいにくの土砂降り、それでもマイクロ・バスで乗り付けた登山者一行があり、地元の山行同好会が募ったツアーに募集した人々だと思うのだが、皆手に分厚い手作りのパンフレットを持っていた。明らかに獅仔頭山に纏わる歴史、遺跡を解説してあるのだと想像したが、さすがに大台北地区だと思った。高雄地区はこのような文化の香りの高い山登りがあるかどうか?マイクロ・バスはもう一方の登山口で下山する一行を待つ。これが最も簡便な山歩きの方法になる。

登山道の所々に、動植物、遺跡等を紹介した紙をプラスチックでラミネートした手作りの案内板が置かれていた。その各々に「緑野史蹟公園」と印刷されているのは、この低山の山中がそのままそっくり一つの歴史博物館であることを表している。

「土匪洞」(土匪の隠れ家)、「古戦場」(日本軍と抗日勢力抗争時の塹壕跡)、「古井戸」は日本の台湾領有初期に於ける日本軍と抗日勢力との抗争にまつわる遺跡とされている。この為、この登山道を「土匪古道」と呼ぶ人もいる。更に、隘勇線上に設置された「隘勇監督分遣所」跡と後述する「防蕃碑」は、台湾総督府に依る原住民に対する「理蕃」政策初期の代表的な遺跡だ。>(メルマガ「台湾の声」2008年6月21日掲載分の一部を改編)次回へ続く...


「大土匪洞(Big Bandit Cave)」案内板全拙訳(実際の案内板は中国語と英語で併記):
獅尾格坪上部、獅仔頭山三角点に至る登山道脇に位置し、洞穴の形状が獅子の口腔に似ていることから、当時は「獅嘴舌」と呼ばれていた。伝承に依れば、その後日本軍進駐の初期(1896〜1898年)、抗日義勇軍はこの地に前線基地を設けたが、日本軍の封鎖に遭遇し、物資補給が困難になり、時々民家に押し入り略奪を働き糊口を凌がざるを得なくなった。この為、付近の住民はこの洞窟を「土匪窟」と呼んだ。義勇軍は物資交換の取引の為に、この洞窟に人質を拘引したりもした。洞窟内は数十人を収容出来るだけの広さがあり、洞窟岸壁上部後方には機関銃を備え付けた砦跡も残る。

Kodou-1059.jpg Kodou-1061.jpg Kodou-1062.jpg
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 新店獅仔頭山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック