2007年01月12日
浸水営古道−7
【写真説明】左写真は出水坡神社跡と思われる石積み。出水坡は国家歩道に指定されている現在の浸水営古道のほぼ中間点、本古道中最大規模の日本時代の遺蹟が残る。「出水坡神社跡」の道標は当地に一基あるが、それに続く道標が無く、山の中を歩き廻り私が勝手に特定したので本当に神社跡かは自信が無い。写真下に映る石は階段の一部、写真中央を横切る石積みは祠を取り巻いていたもの、写真上の樹木下の石が祠の台に当たると思われる。祠を支えていた石積みは樹の根が跨り殆ど崩壊している。右写真は出水坡駐在所跡。この周辺には大小様々な石積みが残る。その一部は清軍の出水坡営盤のはずだが、残念ながら素人では判断出来ない。
日本時代の駐在所跡を確認出来るのは、大漢山林道沿線で、[土>嵌]頭営、帰化門、大樹林、登山歩道上では、浸水営、コリバボノ、出水坡、新姑仔崙、姑仔崙の八箇所で、コリバボノ駐在所跡を除いて林務局の案内板が設置されている。後、日本時代の遺跡としては登山歩道東側起点のチアチアカトアン渓に嘗て掛かっていた姑仔崙吊橋の「大正十五年三月竣効」の銘を持つ橋桁が残っている。戦後も新たに橋桁を建設、掛け直すが、これも今は廃棄され、今年一月私が訪ねた時は更に新しい近代的な吊橋が丁度完成した日だった。総じて、古道沿線上で最大規模の遺跡・遺構群を観察出来るのは現在の登山歩道のほぼ中間点になる出水坡で、営盤、駐在所遺構に加え、貯水槽、国旗掲揚台、神社の遺構も観察出来る。
以上概観してきたように、この浸水営古道の歴史は台湾の歴史そのものを体現していると言えよう。そして現在、この古道は台湾の民主化を背景に、健康登山歩道として、自然散策・観察道として、更に歴史探訪・研究道として見事に復活しつつあることを実感出来る。
山登りはどうも苦手という方の為に一言。大漢山林道は、台湾の他の林道が年々廃棄、荒廃の道を辿る中、前述のように頂上に軍用レーダーを持つ為よく整備されており一般の車でも乗り入れが可能だ。加えて、登山歩道に劣らず林道沿線の樹相も同様に美しく、南台湾であるにも拘わらず紅葉も見事である。台湾最南部の中央山脈の標高は二千メートル足らず、しかしながらその山の深さと荒々しさは同じ中央山脈の三千メートルを超える山岳が鎮座する中央部に決して引けを取らない。林道を車で走るだけでもそんな雄大な南台湾の景観を十分満喫できる。ドライブに加えて、林道沿線に設置された各案内板で車を停め暫し説明を読むだけでも立派な古道探索に成り得ることを付け加えておきたい。
最後に、浸水営古道沿線とその周辺に設置された案内板の説明は、この古道の最新の研究成果であり、2003年度林務局委託研究事業の一つである楊南郡氏の「浸水営古道人文史蹟調査期末報告」書に依っている。興味のある方は以下のサイトからダウンロード出来る。
>(メルマガ「台湾の声」2006年3月6日掲載分の一部を改編:終わり)
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実際日本時代に「出水坡神社」と呼ばれていたかどうかは不明です。現在の台湾側の記録はこの名前で統一されていますが、台湾人では現場に行ってもそれが元々どういう形をしていたかは想像が付かないと思います。当時、鳥居を擁していたかどうかは判りませんがあったとしても木製の小さなものです。自然石を利用した台座があり、その上に祠が載せられていたのは判ります。田舎の大きな家とかビルの屋上に設けられているアレです。私は神社の種類とか構造については詳しくありませんが、神社とは呼べないのかもしれません。北大武山頂上稜線上にある「大武祠」は立派な木製の鳥居が残っていますが、大武神社とは言いません。その意味では、出水坡祠と呼んだ方が適切かもしれません。尚、浸水営古道を歩くのであれば、冬が適当と思います。これからの時期は暑さでダウンします。(終)
いつもコメントありがとうございます。日本時代の神社であれ祠であれ、現在荒れるに任されたままになっているのは仕方のないことで、保存する・しないを決めるのは台湾人です。その中で、「大武祠」は台湾人に依り新しい息吹が吹き込まれようとしている稀有な例です。これについては何時か紹介しようかと考えています。(終)