【写真説明】左写真は現在のパイワン族カサギザン社佳義村、中央写真は高雄市近辺の低中級山の中ではハイカーに最も人気の高い一座である笠頂山登山口、同時に、カサギザン社旧社入口でもある。同写真左側に写る掲示板は、旧社の全戸、並びに駐在所、教育所、神社等の公共施設が記載されていた。右写真は登山口に至る自動車道に停められたハイカーの乗用車、撮影者たる私の左側が登山口である。
これまで屏東県県道185号線、通称「沿山公路」沿線に移遷してきたパイワン族部落については少なからず紹介してきた。沿山公路の北側、山地門に近い山域は少しばかり不思議な空間である。異常に登山客が多いのだ。山と云っても対象になるのは、北から白賓山(標高810メートル)、真笠山(同1,166メートル)、笠頂山(同659メートル)の三山、中でも、笠頂山の人気は圧倒的で、週末は言うに及ばす、平日すら早朝から登山客の車が列を為す。。。というのを知ったのは実は今年になってからである。この中で、私が嘗て登ったことがあるのは、真笠山のみだった。
通常は登山客が多いからと云って食指は動かない。寧ろ逆だ。敬遠したくなる。が、私は俄然笠頂山に登らねばならない!と逸ってしまった。恥ずかしながら―多分、これを灯台下暗しと謂う可きか?―これら三山の山名がパイワン族の社名に由来していることすら気付いていなかった。今年六月の記事「パイワン族秘道−60:下パイワン社(排湾、筏湾)」で、堂々と「マカザヤザヤ社(瑪家)」と紹介しながら、真笠山の「真笠」が「マカザヤザヤ」の日本語漢音訳だというのに気付いたのは記事投稿後暫く経ってからである。
或る日、沿山公路沿いの日本時代の地形図に表記されたパイワン族の部落名を眺めていた。カサギザン社が極めて現在の沿山公路に近いことに気付き、現代地図帳と比較すると現在の佳義村に近いことが判った。現代同地名漢字表記は、日本時代のカタカナ音の漢音訳であることに読者も気付くと思う。なら、旧社跡も佳義村の傍に位置するはずだがと思い巡らしていたら、現代地図帳上の笠頂山が目に飛び込んで来た。日本時代の地形図上のカサギザン社の位置は、現代地図帳の佳義村と笠頂山の中間に当る。ということは、笠頂山山行記録を見れば、旧社跡に関する記録に出喰わすはずだ。。。随分探した。そして出て来た。サイト内でかなり時間を費やしたのだが、実際現場に行って仰天した。笠頂山登山口が即カサギザン社入口だったのだ!
台湾サイト内でもう一つ重要な情報が提供されていた。それは、「笠頂山」は日本時代は「笠置山」と表記されていたというものだ。平仮名でも片仮名でも「かさぎざん」、「カサギザン」とタイプし漢字変換すると一発で「笠置山」が表れる。(続く)
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