2012年12月15日
蘇花古道−23(大南澳越嶺段−6)
【写真説明】上掲左写真は南澳観光バス「南澳神社」停留所。同写真に映る道路は中正路で南澳市街地に向かう。同写真左側に神社跡があり、右側にはカソリック教会がある。中央写真は、神社本殿跡まで境内の階段を登り切った場所から太平洋側を望んだもの。右写真は同位置から南澳市街地側を望んだ。住民の殆どがタイヤル族である。
大南澳越嶺段最後の記事は、南澳市街地西外れに位置する、台湾では南澳神社と通称される南澳祠である。「祠」と呼ぶのは元々原住民部落、タイヤル族の大社、大南澳の中に鎮座していたからである。この神社跡は日本でも割りとよく知られているのは、一つには祠にも拘わらずその遺構が規模広大であること、サヨンの鐘の近くに存在しているからか?と想像する。台湾のサイトでも紹介記事は多い。しかし、戦後を含めた時間の中で考えると、この神社跡には非常に興味深い特徴がある。南澳市街地を貫く中正路の南側に神社跡は位置するが、その中正路を隔てた向かい側には戦後間も無く立てられた天主教会が隣接している。つまり、ここは現地のタイヤル族が経てきた歴史の縮図の一場なのだ。
二回に渡り蘇花古道大南澳越嶺段を目指した時、同時にこの神社跡もその探訪リストに入っていたわけではない。旧浪速村を散策中に南澳観光バスの「朝陽国家歩道」バス停留所の案内板を見ていたら、その台湾鉄道南澳駅を出発・終点とし、サヨンの鐘にも留まる路線の中に「南澳神社」停留所を見付けたからだ。
朝陽国家歩道は、省道9号線を隔て南側、太平洋に面している。他方、南澳市街地は省道の北側に広がっている。バスの路線を眺めただけでは神社が何処にあるのか?皆目見当が付かない。それに私は神社研究家でも無いしと当該神社跡探訪への意気込みのボルテージは下がり気味だった。そういう気分で9号線を花蓮側へ暫く走っていたところ、G博士が面白いものを見付けたから、車を蘇澳方面へ戻してくれと言う。9号線北側、つまり市街地側の運動場と思しき広場の向こう側に長い階段が見える。即座に神社跡だと判った。
南澳天主堂は1948年の建立だから、もう古建築の部類に入る。南澳祠の鎮座は昭和10年(1935年)前後か?「蘇花古道−9」の「羅提督開路碑」を併せれば、この地の「歴史の縮図」の意味が一層明らかになるはずだ。
下掲左写真は南澳祠本殿跡、以前は孫文の銅像があった。中央写真は南澳天主堂と右写真はその宿舎。同写真に写る壁の絵はタイヤル族。(続く)
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