【写真説明】左写真は、宜蘭県大同郷四季部落の四季国民小学校の校庭脇にちょっとした踊り場が設けてあってそこに掲げられていた同村案内板。「四季」は日本語の「シキ」から。ここで軽い食事を取り、同村も一回りしたのでもう少し色々撮影した積りでいたが、残っていたのはこの一枚のみである。右写真は、今年初めに池有山(3,303メートル、百岳48号)に登った際、四季部落から二人のポーターに来て貰ったのだが、その山頂で雪山主峰(3,886メートル、百岳2号)の大カール(圏谷)をバックにお互いに記念撮影をしている様子。手に持つのはタイヤル族の伝統の蕃刀か?彼等も初めて池有山に登頂したのだ。
比亜毫古道と通称されるのは、現在古道扱いになっている部分の丁度中間辺りに嘗てビヤハウ社が存在したからである。現代風にざっくり言えば、太平洋岸の省道9号線南澳郷武塔部落と中央山脈西端と蘭陽渓沿いを走る省道7号甲線(中横宜蘭線)上の大同郷四季部落を結んでいる中央山脈越えのタイヤル族管制の為の旧警備道(「理蕃道」)である。更にざっくり謂えば、南湖大山(主峰=標高3,742メートル、百岳9号)と太平山(同1,950メートル)との間を横断している。
東側から西側へ、同古道はざっと以下のようなコースだ。此処に上げたタイヤル族旧社名はほんの一部で、更に相当数の駐在所が配置された:
(大)南澳―南澳南渓遡上―ブター社(旧武塔)―大濁水北渓遡上―キンヤン社(旧金洋)―ビヤハウ社(旧碧候)―シキクン社(現四季部落)
ビヤハウ古道の西側起点が四季部落であるのを知ったのはそう昔ではない。今年の旧正月に武陵四秀の一座、池有山(3,303メートル、百岳48号)に登った際、ポーターを雇ったが、この四季村から二人来て下さった。当然タイヤル族の方だ。山中は雪がどっぷり積もっているのに山行中一度も手袋をしなかったことには驚かされた。池有山から下り高雄への帰路に付く途中、その二人の車の後に付き四季部落に寄った時に撮影したのが今回掲載した写真である。
彼等が、この古道も案内出来ると言ってくれた。四季部落からビヤハウ古道を辿るには、今回掲載写真の部落案内板の左上に見える四季林道から入ることになりそうだ。案内板のピンク色は山桜を意識したものか?実際案内板の裏には山桜が咲いているのだが、写真が小さ過ぎる。彼等も私も元気な内にビヤハウ古道歩きが実現することを冀う。
ということで、東段3キロか、或いは四季部落からの探訪の機会が訪れるまで、このカテゴリーの記事は一旦閉じることにする。(了)
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http://sukinamonowa.seesaa.net/article/160126231.html?1352086882
是非ビヤハウ古道行きを実現させて頂きたいと思います。