【写真説明】蘇花古道たる蘇花公路こと省道9号線を花蓮方面から北上し南澳渓が造り出した南澳の平野部に向かって道路が下りに掛かると、南澳南渓を渡り切りサヨンの鐘で知られる武塔のサービス・エリアに入る前に、南澳南渓右岸沿いを遡る宜蘭県郷道57号線の入口がある。南澳郷金洋村(日本時代のキンヤン社の移遷地)への入口である。その村で写した三枚。左写真指導標の真ん中の「旧武塔古道」とは即ち「南澳古道」であり同時に「比亜毫古道」である。この57号線は南澳南渓右岸を忠実に7キロ程遡り終点になり、そのまま産業道路に引き継がれる。そこから約4キロ程度で古道入口に着く事になっているのだが、本文記事下の掲載写真のような状況でこの4キロ途中で断念。
9月15日付けの「合歓山越嶺古道−36:蓮花池歩道」のA案、9月22日付けの「合歓山越嶺古道−37:研海林道」のB案から大分時間が空いてしまったが、C案である。
本題に入る前に林務局に依る国家歩道案内に関し若干コメントする。国家歩道系統案内は「台湾森林悠遊網」サイトの一メニュー扱いである。当初このサイトの出来映えには驚いた。台湾山岳を映し出すイントロの動画が圧倒的だったからだ。八通関を始めとするメジャーな古道はカバーされており、加えて「歩道」とは中央山脈、雪山山脈への登山道も含まれていた。今、同サイトは二代目で大分様変わりした。より一般のハイカーを対象にした歩道案内として整理され、更に児童向けのメニューが加えられた。例えば、八通関古道は南安←→東埔の核心部は外され、代わりに、同古道の入門コースである鹿鳴段のみの紹介になった。3,000メートル級山岳登山道案内は殆ど姿を消した。私のお気に入り、南台湾の古パイワン連絡道等案内も割愛された。
初代から二代目サイトへの変更は改悪だろうか?各歩道の案内は非常にシンプルになったのを物足りないと感じる向きは多分少数派だと思う。一般の閲覧者に対し、例えば「古道総延長50キロ、その殆どの部分は崩壊、従って上級者コース」みたいな案内で、誰が歩いてみようという気を起こすだろうか?そういう意味で、林務局により整備され一般のハイカーが安全に歩ける歩道のみに限定されているのは、逆に各々の歩道に対し大いに興味を持って貰えるはずだ。又、各歩道案内に附された地図が非常に素晴らしい。一代目サイトに附された地図では何処が自動車道で、何処が本当の歩道・古道なのか?そして実際どの部分が普通のハイカーにも歩けるのか?が全く不明瞭な地図だった。
ところで、林務局の粋な計らいと謂うべきだろうが、旧サイトもそのまま残してあり何時でも閲覧可能だ。本ブログの右側メニュー『台湾古道関連リンク集』のトップ二つに新旧二つのサイトを置いたので見比べて欲しい。
初代林務局国家歩道案内サイトでは、蘇花古道と比亜毫(日本時代表記=「ビヤハウ」)古道は、地理的な配置から「蘇花−比亜毫国家歩道系統」として一括りにされていた。それが、その後同じ系統下で二つの古道に分けて案内されるようになった。それでも、両歩道の案内とも要領を得ない、つまり、一般のハイカーはどう歩いたらいいの?という素朴な質問にまともに応えられない紹介になっていた。例えば、蘇花古道については、「歩道全長:150キロ」、「所要日数については計算不能」等の紹介が並ぶ。比亜毫古道についても凡そ似たようなもので、「歩道全長:27.5キロ」、「所要日数:4〜5日以上」(但し、同サイトの別な場所では「7〜10日程度」)という具合だ。
さて、C案とは、比亜毫古道である。当初は、カテゴリー「蘇花古道」に入れようとした。実際以前、触りの部分を「蘇花古道−10」でそう取り扱った。ビヤハウ古道の一部を成すブター社は今は武塔として蘇花公路脇に移遷してきているからだ。が、両古道の成立を考えたら明らかに別系統だ。以前の林務局の案内通り、比亜毫古道全長は三十キロ近く、そのニックネームは「台湾のアマゾン」、秘境なのだそうだ。林務局国家歩道案内二代目サイトでは、蘇花−比亜毫国家歩道系統としながらも、比亜毫古道そのものの紹介は消えている。代わりに、全長3キロの「南澳古道」に取って代わられた。「旧武塔(ブター)古道」と呼ぶ人も居る。林務局が一般ハイカーに安心して歩いて貰えるのは、比亜毫古道東段南澳側入口から3キロのみという意味である。その3キロの古道の入口を目指したが、今回掲載した写真に見るような状態で、辿り着けず。(続く)
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