2006年12月22日
浸水営古道−4
【写真説明】写真左は浸水営古道の東側起点、台東県大武、太平洋に面する。写真の街並は大武渓の南岸旧大武、今は街の中心は北岸に移っている。以前は浸水営古道を東側から辿る際は大武駅から歩いていた。古道は大武渓沿いに遡行、右写真の加羅板部落を経て、写真右にある丸い山の右側を巻きながらチアチアカトアン渓を数キロ遡ると今年(2006年)初めに完成した吊橋が掛かる。そこが現在の古道入口である。今はこの古道入口まで車の乗り入れが可能だ。加羅板部落へ到る写真の道路は大武渓の河床、一月に撮影、この後梅雨を経て増水すれば通れなくなると思われる。
現在国家歩道として整備され登山道として歩かれている浸水営古道は二箇所に分けられる。一つは、西側起点近く、大漢林道の起点でもある枋寮郷新開村に登山口を持つ一本で全長2キロ強、この一本を歩くだけでも古道の雰囲気を十分に味わえる。
もう一本は大漢林道を23キロ程辿った地点に登山口を持ちそのまま太平洋側に下っていくもので、登山道としての東側終点は、以前はパイワン族の小さな集落である大武郷加羅板部落、或いはそこから更に歩いて海岸縁の大武駅まで歩かれていたのだが、最近は古道を完全に下り切った地点である、大武渓の支流、茶茶牙頓渓(日本時代表記:チアチアカトアン渓)入り口まで車を乗り入れており、これだと実際歩く距離は全行程14キロ程しかない。
現在浸水営古道として人口に膾炙し専ら歩かれているのはこの後者の一本で、中央山脈東側を太平洋に向かって下っていくだけの行程になる為、台東側から入山し上り一方の行程を辿るハイカーは殆どいない。又、次回以降のブログで紹介する遺跡・遺構が豊富なのも後者の方だが、この場合、西側、東側のどちら側から入山するにせよ、出口側に車を手配しておく必要があるところが不便なところだ。私の場合は二回に分けて各々西側、東側から入り、中間地点に相当する出水坡で引き返す方法を取った。>(メルマガ「台湾の声」2006年3月6日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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