2006年12月01日

浸水営古道−1

Kodou-25.JPG【写真説明】浸水営古道の西側起点、屏東県枋寮の海岸に小さな公園があり、その中に土盛が作られ円盤の石碑が埋め込まれている。碑の真ん中に「乃木希典」の名が見える。台湾海峡に臨む同じ海岸線、現在の枋寮国民小学校付近に、嘗ては「故乃木将軍上陸記念碑」があった。戦後四十四年後に作られたこの公園は上陸記念碑を代替したことになるが、私が訪れた時は公園名を記したプレートは引き剥がされていた。

浸水営古道は三つの動植物自然保護区を併せ持ち台湾の数ある古道の中でもその沿線の樹相が季節に拘わらず最も美しい古道の一つである。加えて、西側(台湾海峡側)登山口から入ると、東側(太平洋側)に向かい緩やかに下っていくので、その間十数キロあるが、一般のハイカーでも楽に一日で歩き通せる。又、最近では南台湾の非常に人気のあるマウンテンバイクのコースの一つになりつつある。更に、古道沿線とその周辺に原住民旧部落、清代、日本時代の遺跡・遺構が豊富に残っているという特徴も併せ持つ。2005年暮れ、行政院林務局はこれらの遺跡・遺構を紹介する立派な案内板を各処に設置、この古道の散策と探索を更に興味深いものとしている。実は、浸水営古道は台湾の古道中、最も古い歴史を有しており、これがこの古道の最大の特異性だ。

浸水営古道は、高雄から墾丁国家公園へ南下して行く際に必ず通過する屏東県枋寮郷を西側起点として、中央山脈の最南部を横断して太平洋に面した台東県大武郷に抜ける往時は全長約50キロの「幹線」だった。日本統治時代以前は西側起点にあった清朝軍駐屯地の名に因んで「三條侖道」と謂われていたが、日本の台湾領有後は、古道最高点近くにあった同じく清軍駐屯地「浸水営」に因んで、パイワン族に対する「浸水営越嶺警備道」と改称され、古道となった今でもその名をそのまま使っている。「浸水」とは文字通り水に浸るの意で、この古道は台湾最南部の恒春半島の北端を横断しており海洋からの空気の流入が激しく、一年中霧が発生し易く湿っぽい土地柄であることに拠る。お陰で、この古道周辺は山蛭のメッカ、山蛭とは何か知らないハイカーは不必要に怖がることになる。

余談だが、枋寮は後に第三代台湾総督になる乃木希典(当時中将)が、下関条約締結(1895年、明治28年)後、清軍残存部隊の討掃の為に上陸した場所で日本時代は上陸記念碑があり、戦後廃棄された。1999年(平成11年)、その上陸記念碑があった場所とは少し異なるようだが、枋寮郷公所は海岸縁に小さな記念公園を作った。公園内の土盛の上に円盤がはめ込まれておりそこに乃木希典の名前と共に日清戦争終結から最後の台湾に於ける討掃戦までの経緯が簡単に紹介されている。枋寮駅の南側の一角は、現在日本風に言えば町興しの一環として芸術村として整備されているが、三年程前そこを訪ねた際、枋寮を紹介したパンフレットを見ていて偶々この公園の存在を知った。。それらしき公園はすぐに見つかったが、私が訪ね当てた当時は公園入り口と土盛側面にあったはずの公園名を記したプレートが明らかに故意に引き剥がされており、果たして上陸記念公園なのかどうかはすぐに判らなかった。因みに、後の日露戦争に於ける乃木大将と敵の将軍ステッセルの所謂「出師営の会見」(1905年、明治38年)の「営」と浸水営の「営」とは同義、軍隊の駐屯地を意味する。

(参考)「故乃木将軍上陸記念碑」の当時の写真は行政院文化建設委員会「国家文化資料庫」のウェッブ・サイトで閲覧できる:

http://nrch.cca.gov.tw/ccahome/
(「国家文化資料庫」>「老照片」>「乃木将軍」で検索)

>(メルマガ「台湾の声」2006年3月6日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
posted by 玉山 at 20:27| Comment(12) | TrackBack(0) | 浸水営古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
デザイン、一新ですね。
老眼にやさしいデザインで、助かります。我家の若い女子学生にも好評です。すっきりしていて良いとのことです。

南の方は一度列車で通っただけで殆ど知りませんが、先月に訪ねた台東の友人のご主人の両親が水底寮のかたでした。今は台東の友人宅で暮らしているんですが、数年前までは水底寮に住んでいたそうです。原住民ではないのですが、母上は75歳の今も日本語が不自由なく話せ、日本のテレビが大好きだそうです。浸水営古道のことを話したんですが、伝え方が悪かったのか、分からない様子でした。ただ、彼女の家に貼ってあった台湾全土の地図の古道にあたる部分の中央部辺りには浸水営〇(不明)の字がありました。
Posted by メイウェンティ at 2007年01月05日 00:54
メイウェンティさん;

ブログのデザインに関するコメント有難うございます。前の富士山と月のデザインは私個人はとても気に入っていましたが、見る人の目を疲れさせるデザインだというのは判っており一部の人には不評だろうというのは想像していたので替えました。確かに字の大きさが大きくなり読み易くはなったと思います。背景も緑で昔の黒板のイメージかな?

1945年前後に既に青年・成人であった人は水底寮と台東との間を今の古道を伝って往復していたはずで、その母上も必ずや古道を通った経験があるはずです。人だけではなく牛も交易を目的に水底寮から台東側に持ち込まれていたと聞きます。今の古道の両端、水底寮側と台東側の一部は県道198号線になっており、地図によってはこの間の古道の部分が点線で結ばれており将来自動車道で繋ごうという意図が見え隠れしているようで不安です。地形的には自動車道を通すのは十分可能です。但し、金次第なので当分は大丈夫でしょうが。(終)
Posted by 玉山 at 2007年01月05日 09:36
西さん、ktkrです。先日、枋寮へ行ったのですが、この公園は見逃してしまいました。次回はぜひ、行ってみたいです。本来の石碑の場所というのも興味が尽きません。改めて再訪を誓いました。
Posted by ktkr at 2007年01月06日 02:03
ktkrさん;

ktkrさんも立ち寄られたと思いますが、枋寮駅の周辺を整備して作られた枋寮芸術村の中にこの芸術村のセンターともいうべき枋寮文化生活促進会の事務所があります。郷土史館です。ktkrさんのような鉄道ファンであれば誰でも興味が持てるかと想像します。そこでイベント、講演会を行っているのに加え、図書の閲覧も出来るようになっています。そこに置いてあった枋寮周辺の観光案内にこの公園の案内がありました。以下のサイトがこの芸術村の公式サイトですが、この公園の紹介は出ていないようです。もともとは、「浸水営古道博物館」なるものが枋寮にあると聞き捜し歩いたのですが、最後に紹介されたのがこの事務所でした。

http://www.cultural.pthg.gov.tw/F3s/index.jsp

(終)
Posted by 玉山 at 2007年01月06日 10:48
デザインについて、以前のものはとても凝ったもので、情緒が感じられるし良いなと思っていました。
月夜にススキ(すみません。あの弧線をそのように見てしまいました)。満月の夜に一人で古道を歩いたらくっきりとした影ができて・・・・ などと思って見ていたんです。しかし、如何せん、ディスプレイの画面というのはただでさえ読みにくいのに、老眼にとってはちょっと厳しいので、今の文章の画面は助かります。

緑の黒板・・・・ なんだか白墨の匂いがしてきそうな気がします。

西さんが試行錯誤を繰り返して古道を探索している様子を想像するととても楽しそうですね。こちらは楽しんでいる西さんを楽しませてもらいます。


Posted by メイウェンティ at 2007年01月07日 00:39
メイウェンティさん、コメント有難うございます。ブログの背景を変更するのにプロバイダー側が準備したものをそのまま使えば苦労はしませんが、なにしろ出来合いですので色々変えたい部分があります。が、それらを変更するのは特殊言語を少なからず理解しなければなりませんのでなかなか大変です。前回のものも出来合い、今回のものも出来合いですが、慣れないものですから両回とも自分で相当時間掛けて手を入れました。(終)
Posted by 玉山 at 2007年01月07日 10:30
西さん、メイウェンティさん、ktkrです。本日、これから牡丹社一帯を回ってきます。実は明日、牡丹社事件のシンポジウムがあり、これの取材なのですが、付近一帯の集落の聞き取りもしてこようと思っています。また、寄らせていただきますね。
Posted by KTKR at 2007年06月03日 08:06
先週、牡丹社事件のシンポジウムがあり、それに合わせて周辺地域を巡ってきました。改めて驚かされたのがあの一帯の人口密度の低さです。少々驚きました。また、立ち寄らせていただきますね。
Posted by ktkr at 2007年06月12日 04:01
ktkrさん、おっと、私も今週日曜日(10日)に同地に出掛けてきました。目的は、石門山斜面に生えるキノコ(鶏肉の香りがするので台湾人は鶏何々と呼んでいる)だったのですが収穫ゼロ。どうも林務局か誰か、登山道に沿った部分の藪を綺麗に刈り取ったようで、キノコ生育に必要な日陰と湿り気が霧散してしまったのが原因か?と考えています。昨年同時期(梅雨)には大量の収穫がありました。残念。ところで、その牡丹社事件のシンポジウムの結果報告みたいなものは何等かの一般の人は入手出来ないのですか?(終)
Posted by 西豊穣 at 2007年06月12日 06:56
ktkrさん、私にまでありがとうございます。なんだか他所の家で挨拶するのも変な感じですが。牡丹社へは友人もこの春節に彼の知り合いを訪ね、海に出て釣りをしたと言っていましたので、行きたいなぁと思ってしまいました。

西さん、きのこ狩りですか。山があるんだから当然ですが、山は豊かですね。何時だったか友人の母上達と山に行った時、蛙取りができるというので、「私も!」と言ったら「蛇が出る」と言われてしまったことがありました。
Posted by メイウェンティ at 2007年06月12日 19:00
駅の地下通路で「乃木将軍上陸記念碑」という地図を見かけたのですが、やはり記念碑そのものは無くなっているのですね。現存していたら当然日本でも話題になってそうですが。(笑)
Posted by tsubamerailstar at 2008年06月02日 16:16
tsubamerailstarさん、どこの駅地下通路でしょうか?いずれにしても、記念碑が完全に消滅してしまったか?諦めるのは早いかもしれません。当時の写真で見る限り相当大きな石を使っています。ならば、何処かに「利用」されている可能性があります。そもそも大きな石材を粉々にしてしまうのは不効率なことです。ならばその大きさに見合った何かに利用出来ないか?と誰もが考えます。例えば、水路の蓋とか(これは私の友人に教えて貰った例です。八通関越道路の開通記念碑はそのような利用をされていた所を発見され、復活したものが、玉山国家公園南安ビジターセンター駐車場に立っているもの)。案外地元の人は知っているかも。(終わり)

Posted by 玉山 at 2008年06月02日 22:20
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