【写真説明】好茶古道と通称されることもある新好茶(モーラコット台風で壊滅、現在は三地門郷に移遷)と旧好茶間の連絡道は、その後休憩所としては絶好の沢を渡り、そこからは立ちはだかる岩盤の壁を伝う道となる。左写真は、その岩盤を登り切った場所にある広場で、ここから、連絡道には石板が敷かれた歩道に替わる。それが中央写真、何故このように広い板を切り出し道に並べたかは不明。右写真は、この連絡道を歩くハイカーが必ず写真に収めていた竹に依る吊橋。「収めていた」と過去形にしたのは、この橋を渡してあった沢は旧好茶部落の脇に何条かの滝とそれに応じた滝壺があるが、そこを水源にしていたはずだ。台風後はこのような沢沿いがまず大きく崩壊するので、当然この吊橋は今は消失している。
上掲左写真は旧好茶、即ちコツアボアン社入口の印象的な風景。何が印象的かと謂うと、一本の天然の門柱を髣髴とさせる欅(ケヤキ)とその袂に置かれた丸い石板に書かれた白い文字である。その古木がケヤキであることを知ったのは或る台湾人の記事にそう書いてあったからだ。実際は紅ケヤキと書かれていたのだが。ケヤキとは何か?はこの判り易い月刊「杉」WEB版の記事を読んで欲しい。但し、本当にこの古木がケヤキである自信は無い、というのは写真を子細に眺めているとどうも相思樹の大木にも見えるからだ。
その円盤に書かれた注意書きの意味は凡そ以下の通りである:
古茶布安(筆者註:「コツアボアン」の現代台湾漢音表記の一つ)は、その祖先が雲豹に導かれ定住した七百余年の歴史を持つ神聖の地であり、風光明媚な地でもある。従って、村に入った後は、ゆっくり歩き、重たい登山靴も軽々と踏み降ろす事。というのは、この村の石板・石塊の一つ一つが父祖の代から艱難辛苦して遠方から営々と運び込んだものだから、妄りに破壊してはならない。
ここで道は二手に分かれる。古木の袂を左側に入り、そのまま進むと当時旧好茶に起居していた人々の住居に導かれる。それが、右写真で、そこに至るまでの途中の風景が中央写真であり、黄色の点はヒマワリ、時は10月、人の丈より遥かに高いヒマワリが満開であった。同じ季節にこの地を訪ねた人は一様に、この古蹟と鮮烈な黄色のイメージが記憶に焼き付けられるはずである。ヒマワリと書いたが、この記事を書くまでそれが実際ヒマワリかどうかの確認作業はすっかりサボっていた。というのは、私にはヒマワリに似た花で十分だったからだ。
正確には、漢語では「王爺葵」等、日本語だと、ニトベギク、 腫柄菊,新渡戸菊,仲柄菊等の漢字が当てられるが、新渡戸とは新渡戸稲造だそうだ。英語は、メキシカン・サンフラワー、メキシコ、中米が原産地と言われる外来種で、台湾には1910年(明治43年)に持ち込まれたと何処かに書いてあった。
もう一本の道は左掲載写真の右側から入るもので、学校跡へ直接至る。(続く)
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