【写真説明】今回を含め四回の記事に掲載する写真は、当時の新好茶経由で初めて旧好茶=コツアボアン社を訪ねた時に撮影されたものである。左写真は新好茶全景、今は消失した風景。中央写真は当時の集落内派出所のプレート。右写真は、集落から隘寮渓右岸を上流に向かい高度を上げる産業道路を車で進めるだけ進み駐車、歩き始めて暫くして畑の中に出て来た指導標。
モーラコット台風来襲以前は、好茶古道と謂う場合、一般的に二段に分けられていた。即ち当時の新好茶−旧好茶連絡道と、旧好茶−阿礼連絡道で、一般のハイカーは専ら前者を選んでいた。私も最初は前者のルートを2004年11月に辿り、後者は2008年5月に辿った。どちらも同コースの日帰りである。前者の標準ルートは登り(下り)一方、途中、沢に出会ったり、岩盤の中を歩いたりと古道途中の景観が刻々と変化するので、炎天下の中の登りで無ければ、体力的にはタフな部分もあるが、総じて楽しい。三時間も掛からずに着いてしまう。後者は前回紹介したように、往復路のどちらも1,800メートルの稜線を乗り越さねばならないので、一般向きではない。
「台湾原住民デジタル博物館」(日本語版)のルカイ族の紹介の中に、日本時代から戦後に掛けてのルカイ族の簡単な分類史がある。本ブログの読者の為に私の方で以下の通りに更に簡便に纏め直したので参考にして欲しい:
[段階] [主な学者(学説年代)] [ルカイ族の位置付け]
[第一段階] [伊能嘉矩、粟野伝之丞(1900年)] [ツァリセン族(Tsarisen)―ルカイ語で「山の人」の意。ラバル(Raval)、ブツル(Butsul)、ルカイ(Rukai)、下三社の四族を含んでいた。]
[第二段階] [森丑之助(1912年)、小島由道(1920年)、佐山融吉(1921年)] [ツァリセン族をパイワン族(Paiwan)に併合。]
[第三段階] [移川子之藏、小川尚義、浅井恵倫(1935年)] [ルカイ族に分類学上再び独立の地位を与えた。伊能等のツァリセン族の内、ルカイと下三社の二族を合併してルカイ族とした。]
[第四段階] [鹿野忠雄(1939年)] [再度、ルカイ族をパイワン族に併合し、ルカイ亜族とし、東ルカイ、西ルカイ、下三社の三群に分けた。]
[第五段階] [陳奇禄(1955年)] [居住エリアによりルカイ族を「大南群」、「隘寮群」、「濁口群」の三群に分けた。]
現在の台湾サイト内で閲覧する限りは、現在でもルカイ族の分布は陳の分類法に依り説明されており、便宜的に「大南群」を東ルカイ、「隘寮群」を西ルカイと呼称することが多いようだ。
コツアボアン社は、観光用謳い文句としては、ルカイ族最古の部落とか、ルカイ族発祥の地とか謂われているが、正確には西ルカイ族発祥の地と言うのが正しいと思う。発祥の地という意味は、現在の隘寮渓沿いのルカイ族部落はコツアボアン社から分かれて行った、つまり、コツアボアン社が本家で、シャデル社を含む他の西ルカイ族部落は分家というイメージが妥当だ。前回記事掲載の『霧台、好茶古道與聚落研究報告書』に依ると、東ルカイの地から雲豹を帯同し、中央山脈を跨いでコツアボアンの地に居住を開始したのが、670年前、それから300年後、まず、井歩山の麓を越えて現在の阿礼の地に集落を形成する。。。つまり、前回まで紹介してきたシャデル−コツアボアン間道は400年近い歴史を持つことになる。それにしても、670とか370とか数字が細かい。670年前とは中国は元末から明初に当る。そんな時代の中国地方誌に登場していたということだろうか?
国定古蹟のコツアボアン社から、2009年のモーラコット台風(「八八水災」)で完全に壊滅した隘寮渓岸の集落「新好茶」へ移遷したのが、1977年暮れである。古蹟と雖も、ほんの三十年ばかり前には、そこには現役の学校があり、教会があり、派出所があった。2010年に隘寮渓下流域、瑪家郷北葉村に造成された永久屋基地「礼納里部落」に移遷、つまり新好茶の歴史は僅かに三十年間ということである。今回も含め2004年11月に当時の新好茶経由でコツアボアン社を訪ねた際に撮影した写真を今回も含め三回に渡り掲載する。これらの写真に写る風景の殆どはモーラコット台風でこの地上からは消えてしまったと推察されるという意味では鎮魂歌である。但し、従来からのルカイ族住人も好奇心旺盛なハイカーも次第に、当時の新好茶、旧好茶に戻り始めているのがサイト上で確認出来る。(続く)
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