【写真説明】「内文祠」―「祠」とはつまり神社のことである。左一枚目の写真は参道を支える石垣。石垣が支える参道端から見下ろしたもの。全く崩壊した部分が無く、その頑強さは驚くばかりだ。左二枚目は、祠に至る参道と第一の階段。三枚目は、その第一階段を登り切り第二の階段、並びに基壇を望む。右写真は基壇の一部、石積みの精緻さは感動的ですらある。本文記事下の二枚の写真は、基壇全体と鉄筋が覗いている様子。
往路、官舎群に向かい旧警備道が最後の下りに掛かると、阮理事長が山側の少し上を指し、住居跡があると言った。私はちらりと見てそこに石積みを確認したので、確かに石板屋跡だな、帰りにもう少し近くまで行ってみようと、これもちらりと心に留めておいた。
帰路、理事長が再び先頭になり歩き始めた。最初の坂を登り始め、ふと上を見上げると石垣がある。往路に理事長が住居跡だと指した同じ物であることに思い当たった。しかし、それは石板屋の残骸ではないことが判った。かなりの急斜面の途中に拵えてあるので、土砂の流れを食い止めていることだけは判ったが、相当に古い。それで、それが何であるのかを確かめる為に斜面を駆け上がった、というのは理事長は既に先に進んでしまったから、石の塊如きに惑わされぐずぐずするのは失礼だと考えたからだ。そこまで登り切ると、その石垣は一振りの道を支えていることが判った。
実は、官舎群を後にして帰路に付こうとした時、神社跡には結局行き当たらなかったが、短時間にも拘わらずこれだけの物に出会えたのだから、まあ、いいかと納得していたのだ。というのは、私の頭の片隅には、「大亀文王国プロジェクト」サイト内の尋根記録の一文、「動身前往神社」が離れずにあったのだが、官舎群の規模の広大さに驚き、これではそうそう神社跡を探し出すのは容易ではないと端から諦めていたからだ。
石垣に支えられた一振りの道は山の上側に向かい僅かに坂になっていたが、その先に、これもパイワン族特有の石積みになる壁が見えた。よく見ると、階段だ。これで完全に、その道と階段が、神社遺構、即ち「内文祠」に至る参道であることを確信し、そして、その幸運に興奮した。
鳥居や祠の木造部分はすっかり消失しているが、恐らくは、台湾の山深くに残る祠(神社)遺構としては最大規模にして最高の保存状態を保っているのではないかと思う。樹木を定期的に切り払う等の積極的な保護を加えていかない限り、以前紹介した出水坡祠同様、熱帯雨林の成長に押され精緻な石組みは徹底的に破壊されていく。。。どちらがいいのか?この稀有な幸運を密かに喜ぶと共に、思い煩う。(終り)
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現在のところ、9/14-19の間に台湾を訪問したく思っています。出来れば9/15-16辺りで内文祠を見てきたいと考えています。屏東からどのような行程で行けばよいか教えて下さい。また、ご案内して頂ける方のご都合も確認して頂ければ幸いです。
出来れば、fnhcx958@yahoo.co.jpにご連絡頂けますようお願いします。