【写真説明】嘗ては、最後の秘境、黒色部落等と形容されていた司馬庫斯部落の全景。現在もし週末・祭日にこの村を訪ねたとしたら当時の面影を見出すのは難しい。「黒色部落」の名は、山奥故日照時間が短く常時暗かった為だという説明を見たことがあるが、そう呼ばれ始めたのは、古蒙仁が1970年代、「黒色(的)部落」を出版した後ではないかと想像する。大概の観光客は司馬庫斯古道を神木(檜の巨木群)まで辿る。この村の最大の観光資源である。
まず、訂正しなければならない。これまで霞喀羅古道に関するブログの中で私は「斯馬庫斯」(スマングス社)という部落名を使い続けてきたが、私が意味していた部落名は実は「司馬庫斯」の表記が正しい。台湾でもこの「斯馬庫斯」と「司馬庫斯」は随分長い間混同されて使用されてきた。事実、私がかねて使っている自動車道路図も「斯馬庫斯」の表記になっている。そこで私自身も「斯」でも「司」でも同じタイヤル族最奥の部落、嘗て「黒色部落」と呼ばれたスマングス社を指すものとつい最近まで誤解していた。実際は二つの部落は異なる。両方とも同じ新竹県尖石郷下にあり、「斯馬庫斯」は秀巒村に属し、現在では「新光部落」と呼ばれており、他方「司馬庫斯」は玉峰村に属する。
内湾から県道120号線、尖石から郷道80号線を辿り、宇老に出たら、そこから秀巒に向かって南下、大きな下り坂に掛かる。坂を降り切った所に林務局の検査所があるのでここで入山証を取得、ここの川原では温泉が出る。更に進むと、霞喀羅古道東側入口、養老に到る秀錦道路と泰崗道路の分岐に突当たり、ここで泰崗道路の方へ入る。泰崗を通過するとまず「斯馬庫斯」(新光)を通過し、その奥が「司馬庫斯」である。内湾から司馬庫斯までの距離は約55キロあり、普通車でも乗り入れが可能だ。実際は内湾から司馬庫斯までの自動車道は非常に複雑に枝分かれしているが、以下の司馬庫斯部落の「公式」サイトでは判り易い地図が掲載されているので参照されたい:
http://www.smangus.org/smangusmap.html
司馬庫斯部落に電気が通じたのが1979年、1991年に当地で台湾紅檜の巨木群が「発見」されるに到り観光資源として脚光を浴びることになり、1995年になり自動車道が開通した。今は黒色部落と呼ばれていた頃の面影は最早無く、週末は自家用車、観光リムジン・バスが騒々しく犇き合う山里になった。
日常生活物資を入手する為に嘗ては山谷を越えて片道五時間の道程を現在の新光部落まで歩いていたそうである。現在なら内湾から司馬庫斯部落まで自動車で三時間も掛からずに走ってしまう。この司馬庫斯部落と斯馬庫斯部落(新光)を結ぶ山道が嘗て現在の宜蘭県大同郷楼蘭との間を結んでいた司馬庫斯古道の一部を形成している。司馬庫斯古道については追って紹介する予定である。(終わり)
2006年11月13日
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