【写真説明】左写真は旧内文社跡が存在するだろうと当りを付けた屏東県獅子郷内獅村の入口ゲート。中央写真と右写真は同村内の派出所兼鉄馬駅(台湾の各所に設けられたサイクリング・ステーション)。中央写真奥に写る海は台湾海峡。ここで旧内文社と予想される地への行き方と、案内人無しで立ち入っても良い許可を貰った。但し、聞き出した旧社までの距離情報は心細い。
大亀文王国というのは堂々たる響きがあるが、今の時点では何故「大亀文」の漢語が充てられているか私は探し得ていない。それでも、草叢の底にひっそりと沈んでいるパイワン族旧社群に何故「王国」という名が冠せられ得るのか?その答えは、森丑之助の『生蕃行脚』の中に明確に記述されており驚いた。
「台湾の各蕃人中で、其過去に於てパイワン族の如き社会組織を有し、一種の小規模ながら国家的統一機関を彼等の一の群、即ち部族毎に有して居った如きは、これを詳しく学術的に研究せんには、社会学的にも、将又古代法制史の考察にも非常に有益な資料を得ることだろうし、私は切に真摯なる学者に依ってこの研究に手を染められんことを望むのである。
彼の[王朗][王喬]十八社なる下蕃十八社蕃なり、上蕃十八社蕃の過去に於ける大股頭人、二股頭人、三股、四股頭人と各小社の小頭目なり、又は大股頭人の住める大社と小社との関係の如き、恰も我徳川時代に於ける将軍家、御三家、諸大名の如きもので、又これ等の階級者と一般人民の関係も、階級的に貴賎の差別が因襲的に一般が当然として是認して居った感念に於いても相似よった点が見える。往時に於ける大股頭人等の尊栄は大したもので、殆ど大将軍の如き威厳を有し、其旅行の如きも全く大名行列であったのだ。」
引用文中の「上蕃十八社蕃」が内文社群、即ち大亀文王国のことであり、笠原政治氏のその部分の註は、次の通りである:
「下蕃十八社」の北側、草山渓以南にあるパイワンの村々を指す。最大の村落は内文社で、その勢力下にある住民はチャオボオボルと呼ばれる。
ここでは、caqovoqovoljの音読みがチャオボオボルとなっている。
現代では大亀文王国研究は隆盛を極めていると言えそうだ。台湾サイト上で探し当てた「オランダ領有時期に於ける大亀文王国発展研究」(原題:荷據時期大龜文(Tjaquvuquvulj)王國發展之研究)『台灣原住民研究論叢第六期2009年12月第157〜192頁』(蔡宜静、南華大学)という論文の冒頭は以下のような紹介(筆者拙訳)で始まる:
南部パイワン族伝説中の「大亀文王国」は、17世紀に於けるオランダの台湾領有時代には既に「国の中の国」の「酋長」的存在であり、「国家」成立の為に必要な四つの基本要素を具有していた。即ち、領土、人民、主権、並びに政府である。嘗て最も多い時で二十三個もの部落を統治していた。
そして同論文中には、大亀文王国の名が文字として文献に登場したのが1638年とある。尤も「大亀文王国」の名で登場するのではなく、中国側の文献であれば「大亀文社」等であり、オランダ側資料であれば当然オランダ語綴りである。(続く)
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