【写真説明】タウサイ駐在所跡へ至る道路の様子。この両脇に嘗て家屋が並んでいたが、現代風なコンクリート製家屋が数軒残るのみで後は軒並み空き地である。左側写真に写る道路は私が迷い込んだ部落の最高所で、この道路脇にある電柱で電線が切れていた。ネット上の写真は2009年5月、私の撮影が2011年10月、その間二年半の時間が経っているが、今でも路面が完全に露出しているので、誰かが定期的に道路脇から覆いかぶさる萱を切っていることになる。
前回の記事で梅園竹村歩道に関する記事は終りにする積りでいたが、台湾のネット上で「陶塞駐在所遺跡」なる単語が目に入り、ああ、又見逃したか!ということで自身の撮影したものを再確認したら現場まで辿り着いていたことが確認出来たので、もう一回追加することにした。
「梅園竹村歩道−10」で紹介した日本時代の吊橋橋柱遺構は謀らずも自身のカメラに収めていたが、トウサイ駐在所跡に関しては残念ながらそれ程には神通力を発揮出来なかった。但し、その駐在所の門柱横は通り過ぎたはずで、単に一刻も早く同行者と若夫婦が待つ忠孝吊橋まで戻らなければならないという焦りのみで完全に見落とした。
下掲左写真は日本時代の駐在所門柱に必ずあった駐在所表札を掛ける釘で、タウサイ駐在所のもの、右は、「合歓山越嶺古道−15」で紹介したバタカン駐在所のものである。
私の手元の地形図復刻版には、梅園駐在所しか記載が無かったので、現在の廻頭湾から竹村までの間、当時の駐在所は一箇所のみと考えていたが、仔細に地形図を眺めると、実際は、梅園、山里、タウサイ、それとソワサル(蓮花池)の四箇所存在していたことを新ためて認識した次第。(梅園竹村歩道終り)
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