【写真説明】石鹿駐在所跡。白石駐在所と同じく戦後建て直されそのまま暫く駐在所として機能していた。この遺構は現在の歩道上にあるのではなく、県道122号線沿いの清泉温泉(新竹県五峰郷桃山村:日本時代の井上温泉)から東側に延びる石鹿林道沿いに残っている。従って、石鹿林道も嘗ての警備道、古道そのものである。全長約15キロのこの林道は普通車でも歩道入り口まで容易に乗り入れられる。この廃棄された駐在所の庭では誰かがアヒルを飼っていた。
日本時代の原住民族に対する警備道(理蕃道)を古道として現代人の為の歩道に整備し直す場合、その歩道を構成する要素は、自然景観、動植物、人文・歴史の三つであろう。更に、この最後の人文・歴史を具体的に構成するものが、当時の建築物、道路、石碑等の遺構ということになり、理蕃道という性格上、自然駐在所遺構が中心になってしまう。古道整備を担う林務局にしても同じである。従って、このブログに紹介する記事、写真も勢い同類の素材が多くなることを読者には了解していただきたい。
上記の石鹿林道上には嘗て、井上、笠野、瀬戸、松本、石鹿、庄子の六ヶ所の駐在所が置かれていた。井上は温泉街にあり、庄子は現在の霞喀羅古道西側入り口付近に配置されていた。林道の延長が約15キロなので、3キロ間隔ということになり、その「密集」具合が林道上でも確認出来る。但し、私が訪ねた時は、以上の情報は持ち合わせていなかったので、確認できたのが石鹿駐在所跡だけという結果になった。
因みに、歩道上の旧駐在所跡は、(庄子)、田村台、高橋、松下、楢山、朝日、石楠、白石、見返、武神、馬鞍、栗園、養老の十二箇所、歩道全長が約24キロなので、その間隔は更に縮まり2キロ以下ということになり、当時の原住民族に対する管理の厳しさが推し量れる。
先のブログの中で、霞喀羅古道は現在最もよく歩かれている庄子と養老間を結ぶ一本のみではなく実はもっと複雑であると書いた。具体的には、田村台駐在所から南へ延び、現在の新竹県五峰郷、同尖石郷、苗栗県泰安郷の三郷が接している檜山に到る一本と、白石駐在所からサカヤチン渓沿いに南下、檜山に到る一本である。これら二本も国家歩道ということになっているが、実際一般のハイカーがすべて歩ける程に整備されているかどうかは疑わしい。前者の田村台−檜山間沿いに現在でも、根本、佐藤(山)、檜山という具合に当時の駐在所名が地名として残っている。(終わり)
2006年10月21日
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