2012年03月17日

合歓山越嶺古道−32(梅園竹村歩道−11)

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【写真説明】旧タウサイ社の現況を三枚。左写真は村入口の三叉路に立つ十字架。中央写真は水蜜桃畑越しに来し方を仰ぐ。右写真は村の中の今は住人無き家屋。このように完全な家屋は殆ど無いので、往時の村の様子を想像するのは難しい。

邑(むら−宮城谷昌光の小説から学習)の入口の一軒屋を眼下にしながら、何処まで登り続けなければならないのか?電線の延び具合とスロープばかり気にしている。坂を登り切ると、いきなり三差路の十字架に出会う。戸惑う。私が想像していたのは古びた教会の屋根に掲げられた十字架であり、松の木を背負い道祖神的に三叉路で待ち構えている十字架ではなかったからだ。

加えて、三差路が悩ましい。というのは私の持ち時間は限られているからだ。私が目指していたのは教会である。教会に行き着きさえすればそこで即座に引き返そうと決めていたからだ。

三差路右側の道路の奥には建物が見えたが屋根に十字架が無い。そこで左側の道を辿ることにした。道はどんどん登りになる。何処で引き返そうか?自分自身に区切りを付けられそうな物を探すがなかなか行き当たらない。

やがて再度三差路というよりT字路に出会う。そこにはペンキで左折の矢印が引かれていたので、逆の右側の道に賭けた。その道路の両脇は嘗て住居が行儀良く並んでいたことが判る。残っている住居は、何処にでもあるコンクリートの普通の家屋である。その道路脇の最後の電柱に行き当たる。そこから先は電線が延びていないのだ。とうとう教会には出会えず。

それで先程のT字路まで戻ると、やけぐそ気味に左の道路も併せて歩いてみて踏ん切りを付けることにした。道路脇はすべて水蜜桃を主体にした畑でその奥に二階立ての白い家屋が見えた。その家の玄関に通じる道に出会うと、相当数の犬が走り出て来て私を追い立てるので、観念して帰途に着くことにした。忠孝吊橋まで戻った時に、この家屋が若夫婦の住居であることは判ったのだが。彼らは私がそこまでは行き着けまいと踏んでいたようだ。下掲の写真はその家屋と途中で見掛けた見事に朱色に変色した柿の葉。(続く)


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posted by 玉山 at 00:00| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 合歓山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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