【写真説明】トウサイ渓に掛かる最後にして最大、最長の陶塞吊橋。対岸が旧トウサイ社、現竹村(上梅園)。その橋上からトウサイ渓上流(中央写真)と下流(右写真)を望む。
忠孝橋から仁愛橋に掛けては緩やかな下り、仁愛橋を渡ると前回記事掲載の写真の平坦な歩道を辿る。やがて渓谷から離れて竹薮の中の登り道となるが、暫くすると下に掛かり再び渓谷側へ出ると、トウサイ渓に直接渡してある非常に大振りの吊橋が顕れる。その規模には人煙殆ど絶えた山奥なので唖然とする程である。サイトで長さを調べようとしたが簡便には見付からない。まあ、優に100メートルはあるとしておこう。
やがては南湖大山に通じるトウサイ渓を囲む山々の或る箇所では頂上付近からの山肌全体の崩壊とその崩壊した岩屑が川底を真っ白にうねる様にして盛り上げる。この様は言葉では無論、写真でも表現が難しいのでこれ以上書かない。台湾は島国だと言うが、その山中に潜むエネルギーには何時も圧倒される。全然関係無いと思われる向きの方は多いかもしれないが、台湾人よ、日本の紅葉など何故愛でるのだと、何時も思う。
さて、この橋を渡り切ればそこに旧トウサイ社、現在の竹村、或いは上梅園の集落が即座にお目見えするのだろうか?と駆け足に近い感じで歩を進めて来た故、もう大分くたびれており、不安げに対岸を眺めると電柱と電線がどうも更に奥まで延びておりしかも山を登っている。ここまで既に四十分は費やしているので、私が見当を付けた三キロはもう越えている。失望感、即ち疲労感である。いずれにしても最後の陶塞吊橋を渡り切るとそこはもう竹村なのは、登り掛けた歩道の袂に一軒家(下掲写真)があることで判る。件(くだん)の夫婦が話していた村入口の最初の一軒だ。(続く)
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