【写真説明】サカヤチン渓に架かる白石吊橋、日本時代はこの渓谷と同じ名前が付けられていたかもしれない。橋長145メートル、橋と渓谷の落差は90メートル、大正十年(1921年)の架設。写真ではなかなかこの高度差を表現出来ない。橋桁は日本時代のものをそのまま使い続けているようだが、橋自体は何回も張り直してある。但し、日本時代、各地の警備道上に掛けられた当時の写真を見る限りでは、工法は変わっていないようだ。
古道上唯一大きく標高が変わる場所が、白石駐在所跡と白石吊橋の間で、西側入口から入ると大きな下りになる。この吊橋はサカヤチン川(「川」の中国語は「渓」で、現在は従って薩克亜金渓)に掛かっているが、その高度は圧巻、下を流れる渓流と周りの樹木も非常に見事である。日本時代には山間部には数多くの吊橋が掛けられ、今でも現役のものもあつが、この吊橋も日本時代に掛けられ、現在のものは約三十年前に架け替えられたものだ。その後も補修が繰り返されており保存状態は非常に良好である。
橋の両端のつい最近になり塗り直されたと思われる白塗りの橋梁には、「白石吊橋」「建於大正十年」と大書きされた木製の銘板が埋め込まれている。台湾では嘗ての神社跡等とかに残る鳥居・石柱・石碑等に刻まれた「明治」「大正」「昭和」の文字を今でも目にする機会は多いが、このように最近になり改築・改修された建造物に堂々と日本時代の年号を表記するのは非常に珍しい例だと思う。
嘗ては原住民の生活道であった古道であれ、中国清朝時に開鑿された古道であれ、更に日本統治時に警備道路として開鑿された古道であれ、ひとくくりに「国家歩道」という台湾の国家歴史遺産として取り扱い、これら人文と美しい自然の両面を等しく啓蒙するポリシーを打ち出している林務局の意気込みの一つの顕れである。>(メルマガ「台湾の声」2005年2月25日掲載分の一部を改編:終わり)
2006年10月13日
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