六亀特別警備道の紹介はこの記事で一旦終わりにする。
「祠」は最近では「分祠」(ぶんし)という単語がメディアに氾濫しているお陰でよく目にするようになったが、祠一文字を取り出しこれを「ほこら」と読める人は漢字力が低下していると云われる若い世代の間では少ないのではないかと思う。更に、「ほこら」とは何ですか?と問われれば、そうそう的確な回答が返ってくるとも思われない。斯く云う私自身も、何故か「ほこら」を「うつろ・うろ」(洞)と関連させて(実際は全然関係が無い)覚えていたようなお粗末な次第。「(『ほくら(神庫)』の転という)神をまつった小さいやしろ」(三省堂提供「大辞林 第二版」)というのがその答えで、日本全国のあらゆる街角に様々な様式で存在する。
台湾に初めて行った時は、田畑の袂に慎ましやかに佇む土地公から日本人にはけばけばしいとしか思えない壮大な媽祖廟まで、その信仰対象物の多さに驚き、誰かが台湾人は迷信深いと言えば成る程と納得していたのであるが、何のことはない、日本も同じではないかと気付いたのは台湾に行ってからのことである。
台湾にも「何々祠」と称された日本時代に作られたものは数多く残っていると思われる。思われると書いたのは、台湾の平地に残存するであろうそれらをこれまで意識してみたことがなかったからである。祠の性格からして山頂にも盛んに設けられたと想像されるが、少なくとも私がこれまで目にしたことがあるのは、ここ旗尾山頂以外では玉山西峰(台湾百岳24号、3,490メートル)山頂と北大武山(台湾百岳92号、3,092メートル)の稜線上に位置する大武祠の三箇所のみである。玉山西峰のものは明らかに戦後新しいものと交換されているが日本式祠を忠実に再現した木製、大武祠のものはコンクリート製である。因みに玉山主峰のものは戦後撤去された。
台湾に今でも残る大振りの鳥居を残す神社遺構は紹介される機会が多いが、僅か一本の自然石を利用した恐らくは最も簡便な祠形式である旗尾山祠は特別な存在ではないかと思い紹介した次第である。
最後に周辺の日本時代遺構の紹介をもう一つ。県道184号線を北上、六亀に近付くと火炎山、又は十六羅漢山と呼ばれる礫岩(れきがん)層が露出し日本の大分県耶馬渓、群馬県妙義山を想起させる低い山群が県道脇に横たわる。台湾では珍しい景観で地質学上もユニークなことから今は林務局が自然保護区に指定している。この火炎山の下を六連のトンネルが走っており184号線の一部だったが今は使われていない。これらのトンネルは昭和12年(1937年)の竣工で、その年号とトンネル名を記した銘板が各トンネルにはめ込まれているが、すべて改竄されている。火炎山の礫岩層が最も県道に迫る部分には公園がしつらえられており、トンネルと旧県道の一部がその公園に包含されていたが、落石がひどく施設の一部が潰されたりして今はトンネル内に入らないように注意が喚起されている。このトンネルを含む日本時代の現184号線は樟脳運搬という重要な役割を担わされていた。(終わり)
【関連する記事】
- 六亀特別警備道−61:第49宿「土山」(2)
- 六亀特別警備道−60:第49宿「土山」
- 六亀特別警備道−59:第50宿「水口」
- 六亀特別警備道−58:第51宿「石部」
- 六亀特別警備道−57:第52宿「草津」(2)
- 六亀特別警備道−56:第52宿「草津」
- 六亀特別警備道−55:第53宿「大津」(3)
- 六亀特別警備道−54:第1宿「品川」(2)
- 六亀特別警備道−53:第1宿「品川」
- 六亀特別警備道−52:第12宿「沼津」(2)
- 六亀特別警備道−51:第12宿「沼津」
- 六亀特別警備道−50:林務局護管所(廃棄)
- 六亀特別警備道−49:第11宿「三島」
- 六亀特別警備道−48:第10宿「箱根」
- 六亀特別警備道−47:第9宿「小田原」
- 六亀特別警備道−46:第8宿「大磯」
- 六亀特別警備道−45:第7宿「平塚」
- 六亀特別警備道−44:第6宿「藤沢」
- 六亀特別警備道−43:小関山林道
- 六亀特別警備道−42:第28宿「見附」(3)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009082602000244.html
[草カンムリ+老]濃渓氾濫で道路がずたずたになった写真を見て当地の人達はどんなに大変かと思いましたが、解決策の一つが見つかった事は良かったと思います。
落石がひどいとか、事故のないようにと祈ります。